こころの声を綴って ー場面緘黙症と歩む日々ー

場面緘黙症を含めた不安障害とうつ病、SEKAI NO OWARIについてなどを書いていきます。

 大学に入学して2か月近く。私は、歩くのが難しくなった。

 どうしても、脚に力が入らないのだ。薬の副作用でふらふらして、体から力が抜けていく。

 大学の帰り、最寄り駅まで帰ったものの、駅の構内に蹲って、動けなくなってしまった日があった。母に連絡をしたけれど、彼女はどうしても外せない用事の最中だった。

 どうしよう、帰れない。

 誰かに助けてもらいたかったわけじゃなかったけれど、時間が経てば歩き出せるとも思えなかった。平日のお昼過ぎの駅は混んでいて、誰も蹲っている私に構っている暇はなさそうだった。

 母に連絡をしてから、約20分。

 私の元に、見覚えのあるサンダルが近付いてくる。人々の足元しか映らない狭い視界は、すぐにその足を見つけられた。

「大丈夫?」

 声に反応し、顔を上げると、兄が立っていた。

「……うん」

 駅にボロボロのサンダルは浮いていて、でもそれだけで、彼が急いで家を出て来てくれたことがわかった。

 大学4年生の兄は、母からの連絡を受けて、就活と就活の間の、わずかな時間を縫って飛んできてくれた。動けなくなった私をバス停まで連れて行ってくれ、バスに運ばれて私は無事家に帰ることができた。

 

 こんなことがこれから何度もあったら困る。

 母と相談して、杖を買ってもらうことにした。もちろん、ふらつきや転倒を防止するのが主な役割だったけれど、目に見えない私の病気をアピールする目的もあった。

 目に見えない私の病気は、誤解や偏見ばかりだ。白杖を持っている人を見ればその人の抱えている苦労が大体想像できるけれど、ヘルプマークはつけようと思えば誰だってつけることができる。その苦しみや救済方法は十人十色で、周囲が迷わずできることは少ないだろう。ネットには「席が譲ってもらえるから」という理由で不必要にヘルプマークをつけている人が溢れていて、私もそう見えているのだと思ったら、何だか悔しかった。

 けれどこれを見れば、上辺だけの苦しみだと思われることは減るかもしれない!買ってもらった杖を手に、そう思った。

 「お年寄りみたいに見えるから」と母が言って、ピンク色のフリルがついたハンドストラップを買って杖にくっつけた。

 それから約半年間、私は外出する際必ず杖を手にした。傘に荷物に杖を持って外出するのは不便だったし、授業中に机に立てかけた杖が滑り落ちてしまうこともあった。

 でも、ただの杖一本が、私の苦しみをなかったものにせず、きちんと評価してくれる気がしていたのだ。あの杖は、私の体の支えであるのと同時に、心の支えでもあった。

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会えなくなるから

『何がそんなに苦しいの』

 高校時代の担任である菊池先生と連絡を取っていた時、つい苦しみを漏らしてしまった。大学が苦しいと嘆く私に、先生はそう訊いた。

 一日中、「苦しい、苦しい」と思っていた。それは偽りのない事実だ。でも、いざ「何が」と問われると、答えに詰まった。

 毎日の電車、友達のいない環境、当てられる授業、90分間座り続けること。そのすべてが苦しかった。でも、それはきっと、誰にとっても同じだ。

 じゃあ、この程度じゃダメなのか。相手を納得させられる理由がなければ、「苦しい」と言ってはいけないのだろうか。

「死にたいって、思います」                                                            

 追い詰められて、私はついそう呟いた。

 返ってきたのは、一言だけだった。

『これ、会えなくなるからやめてね』

 死んだら悲しむ人がたくさんいるよ。そんなことでへこたれてないでさ、もっと頑張りなよ。

 そんな言葉が返って来るものだとばかり思っていた。

『会えなくなるからやめてね』

 それは、あまりにシンプルで、そして何より優しい言葉だった。

 それが嬉しくて、でもやっぱり苦しみは変わらなくて、涙が止まらなかった。しばらくの間、その言葉がずっと心に残り続けていた。

 間違いなく、先生のその言葉は私がこの世にいることを許してくれるものだった。会えなくなるから死なないで欲しいと言ってくれる人が一人でもいるだけで、もう少し生きてみようかと思えるのだった。

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救われた音の記憶 #13『サザンカ』

 こんにちは。架空のラジオ番組、「救われた音の記憶」のお時間です。

 このコーナーでは、毎回一つ、私が様々な病と闘う中で出会い、救われた楽曲などを紹介します。

 

 今回のゲストは、SEKAI NO OWARIの「サザンカ」。

 18歳の私から、お便りが届いています。

 

 サザンカ花言葉には、「困難に打ち勝つ」という意味があるそうです。

 

 授業後、隣に誰もいない帰り道から目を逸らすように、「サザンカ」を聴いていました。大学に行く途中ではなく、決まって帰りに聴いていた理由は単純です。しんどい朝にあんな優しさに触れたら、きっと泣いてしまうから。

『逃げることの方が怖いと君は夢を追い続けてきた

 

 努力が報われず 不安になって 珍しく僕に当たったりして

 ここで諦めたら 今までの自分が可哀想だと 君は泣いた』

 私がどんなに苦しくても逃げ道を選択できなかったのは、今まで積み上げて来た努力が無駄になることが耐えられなかったからです。傷だらけになりながら、血反吐を吐きながら、必死に走り続けました。その先に、報われる未来が待っていることを信じて。

『誰よりも転んで 誰よりも泣いて

 誰よりも君は 立ち上がってきた

 僕は知ってるよ 誰よりも君が一番輝いてる瞬間を』

 場面緘黙症、社交不安障害、うつ病パニック障害。幼い頃から、色々な病気と闘ってきました。みんなは笑って、易々と走って行く道の中で、私一人だけ何度も転びました。彼らの後ろ姿を遠くに見据えながら、傷だらけの私は何とか立ち上がろうと努力してきたつもりです。でも、それを評価してくれる人は、なかなかいませんでした。だから、私のことを知らない画面の向こう側の人に「僕は知ってるよ」と言われただけで、涙が止まりませんでした。

 私が一番輝いている瞬間はいつなのか、自分でもわかりません。ただ一つ言えるのは、場面緘黙症の私が一番輝いている瞬間は決して他人の目につくところではなかったということです。「見て欲しい」「注目して欲しい」と思う一方で、家を一歩出ると何もできない。何年も、それがもどかしくてたまりませんでした。

『夢を追う君へ 思い出して くじけそうなら

 いつだって物語の主人公が立ち上がる限り 物語は続くんだ』

 暑さにも寒さにも屈しない雑草のように、無限の生命力で何度だって立ち上がってやる。うつ病を発症する前は、この曲を聴くたびにそう誓っていました。でも、うつ病は、私の中に芽生えたそんな前向きな気持ちすらも奪っていく病気です。

 未来の自分に聞いてみたかったです。これでいいのか、このままでいいのか。自分が壊れるのと、努力が報われるのは、どっちが先なのか。今が踏ん張り時なのか、はたまた逃げ時なのか。

 答えはどこにも落ちていなくて、誰かが代わりに決めてくれるものでもありませんでした。ただ、耳に流れてくるこの曲だけが、「まだ終わりじゃない」と静かに背中を押してくれる気がしたのです。

 だからもう少しだけ、立ち上がって物語を続けてみようと思えました。

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マイクとシーサーと車椅子

「はい、もっと大きな声で」

 広い教室の隅で、私にマイクが向けられた。

 私は数秒間凍り付いた。

 

 韓国語の授業中だった。

 先生がマイクを持って、発音の確認に教室を回る。一人一人にマイクを向け、上手くできたら次の子に移る。

 指定された単語を一度読んだけれど、聞こえなかったのか先生はそう言った。

「もっと大きな声で」

 ただそれだけの一言に、触発される記憶がいくつもある。

 泣きながら音読をした。絞り出すような声を聞いて笑われた。こんな風に、何度も注意を受けた。

 先生の声を聞いた瞬間、過去の記憶が脳内に溢れ出した。キューっと締まっていく喉を無理矢理こじ開けるようにして、もう一度慌てて同じ単語を読む。そうしてようやく、マイクは私の前から消えた。

 入学前から保健室と相談して、各授業の先生方には配慮文書を送ってもらっているはずだった。配慮文書の内容は、私が抱えている病気や、それによってできないことの許しを請うものだった。その文書を読んでいないのか、はたまたこれだけの人数がいるから該当学生の検討がつかないのか、韓国語の先生はいつでも容赦なく私にマイクを向けた。何度保健室に相談しても同じだった。

 

 お昼休みを挟んで、次の時間も授業が入っていた。毎回心理学科の先生が登壇し、自身の研究などについてお話しをしてくださる。その授業は学科全員が対象なので、大きなホールで行われていた。私はお昼休みの間から一番端の席を取って、授業が始まるのを待っていた。

 はあ。韓国語が終われば、あとはこれを受けるだけで帰れる。この授業は当てられることも、発言が求められることもなかった。

 だから、油断していたのかもしれない。

 今日登壇した先生が大きなスクリーンに自分のパソコン画面を反映させた途端、下腹部を殴られたような衝撃が走った。

 シーサーが、いた。

 思わずスクリーンから目を逸らす。今すぐにでも、出て行きたい気分だった。でも、せっかく来れたんだから、出席しないと。

 嫌な予感は、的中した。

 聞かないように必死でよく覚えていないのだけれど、登壇した先生は沖縄の話をしていた。

「私のゼミに入ったら、沖縄にフィールドワークに行きます」

 スクリーンが見えないように、机に突っ伏す。それでも耳は沖縄の欠片をいくつも拾ってくる。

 授業が終わるまでの90分が、まるで拷問のようだった。

 沖縄の、修学旅行の思い出が、フラッシュバックする。間違いなく、私の中ではトラウマ記憶になっていた。

 私は逃げるように教室を去り、廊下のベンチで座った途端、もう動けなくなってしまった。ここから歩いて、電車に乗って、乗り換えて、また電車に乗って、バスを待って帰るなんて、とても無理だ。

 辺りの学生がほとんどいなくなるまで、長い時間葛藤して、渋々保健室に電話をかけた。8号館で動けなくなったことを伝えると、「今から迎えに行くのでちょっと待っててください」ということだった。

 結局私は迎えに来てくださった保健室の先生に車椅子に乗せられ、保健室まで運ばれた。

 保健室ではオルゴールで夏川りみさんの「涙そうそう」が流れていて、どこまでも追いかけて来る沖縄に涙が出た。

 本当は、苦しいなんて思いたくなかった。みんなみたいに、「楽しい記憶」のまま、ずっと保管していたかった。

 それを許してくれないのは、まだ沖縄に取り残された私自身なのだ。

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助けを求め損ねた日

 多子家庭の奨学金をもらうため、高校まで成績の記載された調査書を受け取りに行った。

 つい1か月近く前までいたはずの高校に、私服でメイクをして行くのは新鮮だった。菊池先生や斎藤先生に会い、近況について話す。大学が負担になっていることも伝えられたけれど、私の中にある切迫感はつい隠してしまった。

 

 無事に調査書を受け取り、学校を出た途端、気が抜けたようにその場に座り込んでしまった。ああ、死にたい。H学園を出ると目の前には、大通りが広がっている。ひっきりなしに行き交う車。あの大きなトラックに撥ねられたら死ねるかな。

 すぐ後ろには出て来たばかりの学校がある。こんなに苦しいのなら、もう一度戻って助けを求めればいい。頭ではわかっているのに、動けなかった。大学生にもなって、まだ高校に迷惑なんてかけられない。それでもどこかで、学校から誰か先生が出て来て、私を助けてくれることを祈っていた。

 

 高校生の頃から、こうして帰り道に体調が悪くなって、動けなくなることはしばしばあった。ほとんどの場合は通学路の途中にある大きな公園のベンチで薬を飲み休んで、母に電話をかけているうちに何とか回復していた。けれどそこまでたどり着かない日は、大雨の中1時間近く同じ場所に突っ立っていた私を見て、向かいの会社の社員さんが声をかけてくださったこともあった。その方には、後日母と共に手土産を持ってお礼に訪れた。動けなくなっているところにたまたま高校の先生が遭遇して、養護教諭の斎藤先生が迎えに来てくださった時もあった。

「大丈夫ですか?体調悪いですか?」

 ふと声がして、顔を上げると、兄くらいの歳の男性が私を覗き込んでいた。

「あ、はい。ちょっと……」

「ちょっと待っててくださいね」

 彼は辺りをキョロキョロと見回して、どこかへ走って行った。

「どうぞ」

 私の元に帰って来た彼の手には、ペットボトルが握られていた。

 私は彼の手からペットボトルを受け取り、慌てて言った。

「ありがとうございます。お金、払います」

「いや、いいですよ。じゃあ」

 青年はそう言って、立ち上がった私を見届けてから颯爽と去って行った。

 その後、高校の最寄り駅まで歩けたものの、また駅で動けなくなった。学校を出てから、2時間以上が経過していた。私は母に「動けない」と泣く泣く電話をし、途中の駅まで迎えに来てもらった。どうやって帰ったのか、覚えていない。

 その日からしばらく、闇を彷徨っていた。何もできない日が続いた。何もできないどころか、一日中苦しむ日。当然学校にも行けず、数日間お風呂にも入れなかった。

 頭の中にはずっと、いつまでも、「戻ればよかった」という後悔でいっぱいだった。大学生なんだからと見栄なんて張らないで、素直に助けを求めればよかった。そうしたら、こんなに苦しまずにすんだはずなのに。

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『問題児』を脱却するまで

 「問題児」という言葉を初めて知ったのはいつだろう。

 少なくとも、私は問題児だった。病気という問題を抱えた子供。特別な支援が必要な子供。小学生の時からそうだった。知らず知らずのうちに背中に貼られた「問題児」というレッテルは、自分の力では剥がすことができない。それをつけっぱなしで、上手く隠すこともできずに何年も生きてきた。

 問題児というと、先生たちが怒ったり、何度注意したりしても問題行動をやめることができない子をイメージするかもしれない。でも私は、いわばその逆だった。先生方からは慎重に扱うように、気を遣わせてしまった自覚がずっとあった。

 だから申し訳なかったと、高校を卒業する時に担任の菊池先生にお手紙を書いた。迷惑をたくさんかけた。でも、そんな私のことも一人の生徒として接してくださって、本当に嬉しかったのだと。

 

 高校を卒業して1か月ちょっと。高校時代の担任だった菊池先生とショートメッセージでやり取りをしていた。

 内容は、私が大学で多子家庭の奨学金をもらうため、高校時代の成績を表す調査書を先生に依頼したことから始まった雑談だった。

 菊池先生が思い出したかのように言う。

『手紙、ありがとう!泣かなかったけど泣きそうになった』

 ああ、よかった。『家で封筒のまんま飾ってあるよ』という文字を見ると、書いてよかったと思う。思いを伝えて、伝わって、よかった。

 けれどその後、先生から送られてきたメッセージに背筋が伸びた。

『おねぇさん、2点間違えてまして。1個目が、生徒→生従 になってました。笑』

 「あ」と思う。何度も確認したはずなのに、つい癖で、漢字を間違えてしまった。恥ずかしさで顔が赤くなる。その手紙が今も、これからも先生の手元に置かれると思うと、一瞬ひったくって書き直したい気持ちに駆られる。

 胸の中に恥ずかしさが広がっていっている時、次の着信を受け取った。

『2個目が』

 どくんと心臓が跳ねる。また、何か間違えたのだろうか。

 ああ、もう私ったら。何度も確認したはずなのに!

 けれど送られてきた文章は、想定外のものだった。

『別に問題児と思ったことない』

 胸に広がっていっていた恥ずかしさが、急にすーっと引いて行く。

「問題児と思ったことない」

 初めに思ったのは、「本当に?」ということだった。だって、あんなに迷惑かけたのに。先生の懐がどれだけ広くても、あれは確実に迷惑だったはずだ。お世辞でそう言ってくださっているのかとも思ったけれど、私が2年間同じ教室で過ごしてきた限り知っている先生は、超がつくほど正直だ。

 そして、先生ははっきりと断言した。

『問題児じゃないよ』

 

 その瞬間に、無意識に思い込んできた「問題児」というレッテルが剥がれた。

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保健室に落ちた涙

 F大学の保健室には、常にゆったりとしたオルゴールが流れている。歌詞がないので印象がだいぶ違うけれど、よく耳を澄ませるとサザンオールスターズだったり、MISIAだったりした。

「こころさん、ちょっと開けるよ」

 ベッドの外から、保健室の先生の声がする。

「はい」

「大丈夫?」

「……はい。あ、もう戻らないと」

 授業を1コマ終えた私は、保健室で休ませてもらっていた。昼食も食べずに仮眠を取ろうとするけれど、学校では常に緊張状態にあるから眠れない。そうこうしているうちに、お昼休みが終わる時間が来てしまった。

「3限出る?」

「はい」

 顔色が悪い私を見た保健室の先生は心配そうに言った。

「こころさん、頑張ってるね」

 この後も授業がある。高校の時とは違う。出席できなかったら、すべて自己責任なのだ。それに多大なプレッシャーを感じていた。戻らないと、戻らないと。

 疲労に不安が重なって酷い顔をしていた自覚はあった。それなのに先生の一言でさらに顔が歪んでいく。

 ダメだ、ダメだ。耐えろ。大学生にまでなって人前で泣くなんて。

 そう思うのに、もう自分では歯止めが利かなかった。みるみるうちに目に涙が溜まって、自然と流れて行ってしまう。

 メイクが崩れることも、目が腫れることも気にせず、気にする余裕もなく、私は泣いた。

 保健室に、涙が落ちた。

 

 もう無理だ。

 ふと、中学生の頃のことを思い出した。何も楽しくなかった授業に部活に学校行事。もう無理だと心のどこかで悟りながら、気付かないふりをして坂道を自転車で漕ぎ続けたみたいだった。止まったらいけない。止まったらいけない。一度止まってしまったら、もう動けないことを知っていたから。でも、遅かれ早かれ、挫折していたのは明白だ。この世界で生きていくことなんてできない。あの時と同じような感覚が、胸を掠めた。

 だからといって、簡単に辞める選択ができるわけがなかった。指定校推薦で進学させてもらった者として、大学を卒業するまではH学園の代表なのだ。私の心が折れたところで、孤独に押し潰されそうになったところで、模範生でいなければいけない。そうじゃないと、高校に迷惑がかかる。

 生きていける道が、どこにもない気がした。

 どうすればいいのか、もうわからなかった。

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止まることが怖かった

 春休みの間、少し休息の時間が取れたことで、うつは以前に比べてよくなっていた。少なくとも、一日中唸っているような生活ではない。

 でも大学に入学し、オリエンテーションや授業が始まり、徐々に余裕を失っていった。こんな状態で大学生活を送るのなんて無理だ。そう思うのに、休むことができない。

 そんな感覚に覚えがあった。高校3年生の夏。心は焦ってばかりいるのに、体が動かない。うつの初期症状と似ていた。

 母と相談して、大学に通うのは週に3回にした。月曜日に1コマ受けて、火曜日に2コマ受けて、金曜日に2コマ受ける。それで精いっぱいだった。

 学校に行く日は、毎朝、重い体を引きずるようにして家を出る。時に玄関で頓挫する日もあって、単位取得への不安が募るばかりだった。

 学校から帰って来て、2階の自室へ荷物を置こうと階段を上る。でも部屋に着く前に、ふと洗濯物がだらりと干されているベランダに目がついた。

 私はふらふらと窓を開け、荷物を床に置いて、ベランダに出た。口からは、無意識に「死にたい、死にたい……」という呟きが漏れていた。

 ベランダの柵を掴み、地面を見つめる。……ああ。こんな高さから飛び降りたところで、死ねるわけがない。一戸建てに住んでいたからそう思い留まったけれど、もっと高いところだったら、考える余地もなかったかもしれない。

 死ぬことがいいことだとは思わない。ただ、もうこれしか、方法がないのだ。

 間違いなくうつが悪化していた。母は満身創痍の私を見て、「休んでもいい」と何度も言ってくれた。その言葉にすべて首を振ったのは、紛れもなく私自身なのだ。

 止まることが怖かった。鉛のような体を引きずる朝を重ねるたびに、これが無駄になるなんて耐えられなかった。結果に繋がるまでは、すなわち単位が取れるまでは、足を止めたらいけない。

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Welcome day

 数日間のオリエンテーションが終わると、「新入生Welcome day」という日が設定されていた。学籍番号順に割り当てられた教室表を両手に、まるで初めてのおつかいのような不安を抱えて、何とか指定された教室までたどり着いた。

 教員も交えたアイスブレイク、上級生によるキャンパスツアー、相談コーナー。私は知り合った数人ととりあえずインスタを交換し、途中の駅まで一緒に帰った。

 場面緘黙症うつ病を抱えていることが悟られないように、必死で笑顔を作り、会話を続けた。溶け込めているように見せることに、全神経を使っていた。

 F大学には、友達はおろか、知り合いすら一人もいなかった。そこで生まれ変わろうと密かに決意していたのだ。病気を隠して何とか普通の人のふりをすれば、「普通」になれるような気がしていた。

 でも、無理をしてできた友達に対して抱いたのは、安心ではなく不安だった。彼女たちと一緒にいたところで、「疲れた」とも「休みたい」とも言えない。高校の時に出逢った友達とは、まるで違っていた。

 あれから、授業が同じになっても、廊下やお手洗いで会っても、会釈することもない仲だった。必死で取り繕ってできた友達はいないも同然。必然的に、一人きりの大学生活がスタートした。

 私を歓迎してくれる場所は、どこにもなかった。

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救われた音の記憶 #12 『ダーリン』

 こんにちは。架空のラジオ番組、「救われた音の記憶」のお時間です。

 このコーナーでは、毎回一つ、私が様々な病と闘う中で出会い、救われた楽曲などを紹介します。

 

 今回のゲストは、Mrs. GREEN APPLEの「ダーリン」。

 18歳の私から、お便りが届いています。

 

 高校を卒業して、心にぽっかりと穴が開いたようでした。

 誰もいない。私に残ったのは、汚れてしまった思い出と抗えない病気だけ。

 どうしてだろう。私には愛する家族もいるし、優しい親戚もいるし、少ないけれど友達もいるし、大好きな恩師もいるのに、どうしてこんなに孤独なんだろう。

 この曲に出会ったのは、そんな春のことでした。

 孤独を謳うこの歌は切なく、脆く、そして美しいものに映りました。

『負けない何かが欲しい

 «私»だけの愛が欲しい

 そうすればきっと僕らは 比べないで居れる

 

 あれこれ理由が欲しい

 私だけ独りのような

 寂しい夜には 何に抱きつけばいい?

 

 羨ましい

 ただ虚しい

 嫌われたくもないけど 自分を好きでいたい

 

 Darling 僕の背中に乗って泳いでて

 やるせない日々の海はとても深いから

 「誰かの私でありたかった」

 勘違いしちゃうから ひとりにしないでよね』

 優しい曲なのに、聴くと少し苦しくなるのは、自分の弱さを見透かされるからかもしれません。

「誰かの私でありたかった」

 私は、自分のためだけに生きていけるほど、強い人間ではありません。恋人でも、親友でも、どんな形でもいいから、「あなた」のそばにいたい。揺るがない「あなた」さえ居てくれれば、私はきっと、生きていくことができるから。

『信じれる何かが欲しい

 解けない絆が欲しい

 そうすればきっと僕らは 呆れないで居られる』

 ねぇ。

『Darling 本当の音を聴いて

 やるせない日々の膿は出切らないけど

 ねぇ 私の私で居てもいいの?

 あの子にはなれないし なる必要もないから』

 私は自分でも呆れるほど弱いし、醜い側面もあるの。あの子みたいに、自慢できる何かも、「普通」に暮らせる健康も、持っていないけど。

 

 それでもあなたは、私を受け入れてくれるの?

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