こころの声を綴って ー場面緘黙症と歩む日々ー

場面緘黙症を含めた不安障害とうつ病、SEKAI NO OWARIについてなどを書いていきます。

救われた音の記憶 #17 『MAGIC』

 こんにちは。架空のラジオ番組、「救われた音の記憶」のお時間です。

このコーナーでは、毎回一つ、私が様々な病と闘う中で出会い、救われた楽曲などを紹介します。

 

 今回のゲストは、SEKAI NO OWARIの「MAGIC」。

 19歳の私から、お便りが届いています。

 

「こころは、自分に価値がないと思ってるんだね」

 小学生の頃でしょうか。母に、そう言われたことがあります。当時の私は「価値」という言葉の意味すら上手く理解できずに、その言葉に曖昧に頷くことしかできなかったのを覚えています。

 だから「MAGIC」の歌詞を見た時、母に言われたその言葉を思い出しました。

『君に出会うまで 世の中に希望なんかなくて 自分に価値がないと思っていたんだ』

 「MAGIC」は、生きることの素晴らしさを謳ったものでも、生きることの切なさを謳ったものでもありません。ただ、主人公が懸命に生き続ける様子を、美しく描いたものでした。

『僕らの間に命が宿ったとき 君は何とも言えない顔をして笑っていたね

 嬉しいのか、悲しいのか

 君はこう思っていたんだろう?

 「いずれは全て失うのに どうして大切なものが増えていくの?」』

 なんて悲しい歌詞なんだろう。私は、いずれすべてなくなるとわかっている今を、愛すことができるだろうか。崩れる未来が待っているとわかり切っているのに、なぜだか、今が永遠に続くような気がしてしまう。それはきっと、自分が未来を直視できない弱い人間なんじゃなくて、今ここにある幸せを少しでも噛み締めようと無意識に考えた方法であるようでした。

 でも、生きていても、いいことばかりじゃない。苦しみ抜いた先に見つけた確かな光さえも、この世界は残酷に奪っていく。

 この曲の主人公も、そんな「今」を懸命に生きる人でした。

『僕がさ こんなに頑張って生きてきたのに

 本当に大切なものさえ失ってしまうんだね

 でも僕はさ 知ってるよ

 それでも人生は素晴らしいと

 生まれてきてよかったと

 僕は本当に そう思うんだよ』

 いじめに遭って、高校を退学して、閉鎖病棟に入院して、それでも何とか希望を見つけようと生きてきたFukaseさんがこの歌詞を歌う姿は、とても胸を打つものでした。

 いじめを受けて、場面緘黙症と社交不安障害を発症して、不登校になって、引きこもりになって、パニック障害を発症して、うつ病になって、入院して、トラウマに苦しみながら、生きてきた私。

 この曲を歌っている彼の姿を見ると、そんな私もいつか、「人生は素晴らしい」「生まれてきてよかった」と言えるような気が、少しだけするのです。人生が終わってもいいと思ったほど、底に落ちてしまった私だけれど、きっと私と同じようなところから、這い上がった人はいる。そして今きっと、彼は同士を励ますように、ステージに立っているのだと。

 生きていたら必ず何かいいことがある。

 当たり前のことかもしれないけれど、今の私はそんなことすら忘れてしまっていました。

 生きていたら、必ず何かいいことがある。

 「MAGIC」は、それを思い出させてくれた曲でした。不確かな未来を信じる力をくれました。

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創作コンクール

 9月の始めに、大学の図書館が主催する創作コンクールに短編小説と詩を応募してみることにした。

 小説は書き上げていた長編から抜粋し、詩は中学生の頃から書き溜めたものを手直しして、締め切り当日に送信した。

 結果発表の日。私はセカンドオピニオンで新たな病院に行っていた。そこで何かがあったわけじゃないけれど、帰り道ずっと泣いていた。またこの世が敵だらけで、すべての歓びを失った場所だという錯覚がやって来たのだ。

 家に帰っても、頭の中は包丁やカッター、はさみなどの刃物類でいっぱいだった。でも、ダメだ、ダメだ。これは錯覚。でも、もし私が死んだら。きっと家に帰って来た家族の誰かが冷たくなった私を発見するだろう。そしてきっと、きっと泣き、取り乱しながら救急車を呼ぶだろう。自分をこれ以上なく傷付けるということは、周りの人もこれ以上なく傷付けるということなのだ。私が死んだら、必ず存在してしまう「第一発見者」。その存在が、私を何とかこの世に繋ぎ止めていた。

 ソファに沈んだまま動けない私の手元で、スマホがブーっと鳴った。画面を見てようやく、今日が創作コンクールの結果発表の日だったことを思い出した。結果を知らせるメールが届いたのだ。

 何の躊躇いもなくそのメールを開いた。

「あ、選ばれた」

 一切の感情も挟まないまま、そう思った。

 メールの文面には確かに、詩部門の第一席に私の名と提出した作品名が刻まれていた。

 そしてそのまま、スマホを閉じた。

 今だから言えることだけれど、何となく選ばれるような気がしていた。そんなに大規模なコンクールではないだろうし、作品には多少なりとも自信があった。だからなのか、それとも体調が最悪だったからなのか、嬉しいという感情すら湧かなかった。

 でも、帰宅してきた母に結果を知らせると、「え!」と驚き、「すごいじゃん!こころ!」と思ったより喜んでもらえて、「あ、うん」という曖昧な声しか出なかった。

 すごい、ことなのか。

 すごい、ことなんだ。

 母の感情が移るように、時間を経て喜びが生まれた。

 いいことがあった。生きていたから。

 あの時に感情に任せて死んでいたら、この喜びには出会えなかったのだ。

 生きていれば、きっといいことがある。

 ふと、そう思った。それは弱気な自分を鼓舞する言葉ではなく、本当に心から思ったことだった。真っ暗だった道に、微かな光が射しこんだ。自分の力だけで勝ち取った賞。これは、この先も消えない事実だ。

 12月の始めに表彰式に参加して、私は人生で初めて自分だけの表彰状を受け取った。

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死後を生きる

 私が死んだら、お葬式には誰が来てくれるのだろう。先生や友達は、私を救えなかったことを一生後悔するのだろうか。

 遺影にできそうな写真を、スマホのアルバムから探す。
 今死ぬなら、これがいい。
 でも、勝手に選ばれた写真が気に入らなかったらどうしよう。それなら生きているうちに希望を伝えておくべきだろうか。
 花は何がいい? 宝物は? 音楽は?

 

 家のソファで横になったまま、そんな妄想の中にいた。

 死にたい気持ちに襲われた時、母は「気を逸らした方がいい」とテレビのリモコンを渡してきた。でも私は、その気持ちに浸っている方が楽だった。

 自分が死んだ後のことを考えると、不思議と少し落ち着くのだ。痛みを越えた向こう岸にいる私は、どこまでも続く自由を手にしている気がして。そんな自分に縋っていた。

 死ねばいいのに。死ねばいいのに。死ねればいいのに。

 そうは思っても、簡単に死ねるわけがない。

 大学がなくなって、私は義務から解放された。それでもなかなか、うつ病はよくならなかった。常日頃「死にたい」と思っている生活ではないけれど、たまにその引き金を引いてしまう。

 今も、その最中だった。

 こういう時は、もう過ぎ去るのを待つしか方法はない。もどかしいが、それが現実だ。

 ただその現実を、少しでも楽に過ごす方法として、私は自分の死後を考えていた。

「また入院するか」

「今すぐ病院行って、点滴打ってもらおう」

 

 私が死にたくてパニックになるたびに、母は本気なのか、脅しなのか、よくわからない様子でそう言った。

 そう言われると、あの入院生活を思い出して、私はますます取り乱すのだった。

 きっと私がいなくなったら、周囲の人々はしばらく私から逃れることはできないだろう。申し訳ないな。申し訳ないけれど、忘れられる方が悲しいな。本当は、死なないのが一番なんだろうけれど。

 でもそう思えない時は、妄想の中にいていい。現実を生きていくためには、時に現実から離れる時間が必要だ。

 私はそうやって、あの日をやり過ごしていた。

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1年ぶりの読書

 うつ病を発症してからというもの、私は読書ができなくなった。

 文字が読めない。何の比喩でもなく、本当に文字が文字として認識できないのだ。こんな意味不明な暗号を、何時間も読み続けることなんてできない。私は、読みかけていたすべての本を栞で閉じた。

 幼い頃から友達と遊ぶ代わりに本を開いていた私は、その現実をなかなか受け入れることができなかった。大事な友達を一人失ったような、そんな喪失感を覚えた。

 本が読めなくなり、1年が経った。それはつまり、本を読むという選択肢を失ってから、1年が経ったということだ。私は大学を休学中、図書館に行って試しに小説を一冊借りてみることにした。うつ病の症状が徐々に落ち着き始めた今なら、読書ができるかもしれないと思ったのだ。懐かしい図書館の匂い。私は本棚の迷路に迷い込みみながら、魅力的な本を探し出した。本は表紙だけでは、中の姿までわからない。一体この本は、どんな物語を隠し持っているのだろう。

 一気にそんなに何冊も読めるとは思えないので、好きな作家さんの新しい本を一冊借りてみた。昔は、一人で図書館に行くこともできずに、いつも家族の誰かについて来てもらっていたことを思い出す。

「貸出でお願いします」

 受付でそう言えるようになった私は、一人で勝手に満足感に包まれていた。母や弟の後ろで、ただそれだけの一言が言えない自分を恥じながら、彼らの後ろ姿を見ていたことが何度あっただろう。多くの人にとっては何てことない一言に、大きな幸せを感じていた。

 家に帰って、借りて来た本を開いた。1年間のブランクがあったので、ゆっくりとしか文字は読めなかったが、それでも確かに少しずつ、私は物語の中に溺れて行った。ぷかぷかと、本の世界の中で浮かびながら懐かしい感覚に包まれていた。ああ、読書って、こういう感じだった。ただの文字の羅列が美しい物語を生み出す。そんな当たり前のことを、忘れていたのだ。

 一冊の本を読み終えた時、確実に自分の時計の針が進んだ気がした。

 うつ病になって、たくさんのものを失った。でも、そうしたものたちをこうして、少しずつ取り戻し始めたのだ。取り戻すことが、できるようになったのだ。

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うつと不安の違い

 まずうつがやって来る時は、背後から。何かの拍子にすっと背後にやって来て、大きな手で私の顔を覆う。そうするともう、普通の世界は見えなかった。うつが創り出した幻像。ここは出口のないトンネルで、そこに死ぬまで閉じ込められているような感覚に陥る。だから思うのだ。こんな希望のない世界で生きるくらいなら、もう死んでしまいたいと。気分が酷く悪く、重いのは、うつを背負っているからだ。

 そして不安は、胸から生えて来る。心臓から不安が芽生えると、そこから体中に広がっていく。指先が震え出すのは、その不安が体の隅まで届いたことを表す。だから胸を押さえている時は、私は不安に駆られている。

 パニックは、それに似ていた。急速に体中に不安が回り、その速さに対応できず、消化しきれなかった分が身体の症状へと繋がる。胸はいつまでもばくばくして、過呼吸になって、手足が震え、痺れ出す。

 ただし場面緘黙の場合は、胸から生えて来るのではなく、イメージはスイッチだ。社交的な場面に遭遇した時、私の場合は登校中に同じ制服の人を見かけた時、無意識にバチンと強力なスイッチが押される。緘黙の間は、まるで自由に身動きのできない鎧を身に纏っているようだった。そこからは、何の声も届かないし、壊れたロボットのように、ゆっくりとしか動けない。最初はそうして急にすべての動きが鈍くなるのに、最後はスイッチが押されるのではなく、雪が溶けるように徐々にスイッチが消えていった。

 どちらの方が苦しいかをあえて言うのであれば、私はうつの方が何倍も苦しい。あの閉塞的な、仲間やすべての歓びを失った世界を何度拒んだか。それは客観的に見れば虚像であっても、うつの魔法がかかっている時間内は間違いなく現像だった。「地獄のようだ、苦しすぎる」と嘆いたって、それでも毅然な顔をして、彼は私の背後に立つのだ。まるで私がこんな気分になることが、義務だとでも思っているように。

 うつは姿の見えない黒づくめの生物であり、逆に不安は成長の早い植物のようだった。

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初めての美容室

 人生で初めて髪を染めようと思ったきっかけは、母からの勧めだった。

「染めてみたら?似合うと思うよ」

 正直、「そんな簡単に言われても……」と思った。髪の毛を染めるということは、美容室に行き、美容師さんといくつもやり取りをして、長時間椅子に縛り付けられ、お金を払って、ようやく手に入るおしゃれだろう。

 それでも結局美容室の予約を入れたのは、日に日に好奇心が大きくなっていったからだった。大学でよく観察してみると、綺麗なミルクティーベージュに染めた髪の毛を両三つ編みにしている子がいた。まるでアニメのキャラクターのような彼女を見て、「かわいいな。私も、あんな髪にしたら似合うかな」と考えた。よく周りを見回せば、髪の毛を染めている子はたくさんいた。大学にも、高校時代の友達にも、テレビで見るアイドルにも。

 元々私は、家のすぐ近くにある、小さな美容室にしか行ったことがなかった。そこを一人で切り盛りしている美容師さんは、私の病気のことも理解してくれ、何も話さず髪を切ってくださっていた。中学生になっても、高校生になっても、母と一緒に行って、彼女が私の代わりに要望を伝えてくれる。それでもやっぱり美容室は緊張する場で、3年に1回くらいしか訪れていなかったのだけれど。

 けれど、今回髪を染めることにした美容室は、駅前のビルのワンフロアにある、美容師さんやそのお手伝いさんが何人もいるお店だった。そこに決めた理由は母と妹が既に通っていたからで、母からは今までのところでもいいと言われたけれど、「今どき風にしてもらいたいなら、あっちの方がいいかもね」ということで、私は新たな美容室に足を踏み出してみることにした。

 秋の始め、病院の帰りに、母と2人で美容室を訪れた。母が担当美容師であるリサさんに私を紹介する。リサさんは20代前半くらいのおしゃれな女性で、母も妹もお世話になっている美容師さんだ。

「わー、蘭ちゃんかと思った。そっくりですね!」

「そうですか?」

 リサさんの声に、母が納得のいかないような返事をする。実際私も、蘭と顔が似ていると思ったことは一度もない。「そっくりだね」と言われたことは、何度もあるのだけれど。

 そうして最初に私とリサさんを繋いでくれて、母は先に家に帰った。一人で挑戦してみたいと、私が申し出たのだ。

 場面緘黙症の人は、知り合いよりも初対面の人の方が話しやすい傾向にある。例に漏れず、私もそうだった。初対面の人の前では、「場面緘黙症のこころ」というレッテルがない状態で話すことができるからだ。

「よろしくね、こころちゃん」

「よろしくお願いします」

 私は事前に紙に書いておいた要望を彼女に伝え、カットが始まった。

「蘭ちゃん黒髪にしたでしょ?こころちゃんが髪染めたの見たら、またやりたくなっちゃうかもね」

「でも、黒髪も気に入ってましたよ。かわいくしてもらったって」

「ほんと?よかったぁ」

 蘭は以前、校則を破って茶髪にしていた。メイクもスカート丈もスマホも、あの子は守っている校則の方が少ないんじゃないかと思う。でも、先生方の冷遇に懲りて、黒髪に戻したのだ。

 無言の美容室しか経験したことがないので、最初はあまりの会話の多さに戸惑った。でも、少し体調がよかったからか、調子に乗って積極的に話した。自分の中にいる、場面緘黙症の私に勝ち誇るように言う。「ほら見て。私はこんなに他人と話せるようになったのよ」

 リサさんと話している私は、まるで夢見ていた「普通」の女の子のようだった。

 カラー剤が頭皮につき、ヒヤッとする。しばらく放置した後、シャンプーをして、髪を乾かして、最後に毛先を巻いてもらう。すべての作業は2時間程度で終わった。

「どうですか?」

 合わせ鏡で髪の毛を見せてくれながら、リサさんがそう訊いてくる。

 鏡には、明らかに髪色が明るくなった自分が映っていた。

 わあ、かわいい。

 ついそう思ってしまってから、勝手に恥ずかしくなる。

 こういう時は、何と答えるのが正解なんだろう。自分で自分のことを「かわいい」と言うのもおこがましい気がして、曖昧に頷く。

 

「ありがとうございました」

 エレベーターまでお見送りに来てくださるリサさんにお礼を言って、扉が閉まる。

 外には冬に近付くことを知らせるように、冷たい空気が充満していた。

 建物のガラスに映る自分を見るたび、テンションが上がる。

 初めての一人美容室を成功させたことと、新たな髪色に浮かれていた。お母さん、勧めてくれてありがとう。私、また一つ前に進んだ気がするよ。

 スキップしたい気持ちを抑えて、家に帰った。

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ダイエット

 まずい。ダイエットをしないと。

 本気でそう思い立ったのは大学1年生の秋頃だった。

 体重計に乗って絶望する日が続いた。

 飲んでいる薬の副作用で、息をしているだけで太っていく。また時には抗えない過食の波がやって来て、気持ち悪くなるまで食べ物を体に詰め込んだ。

 でも、「体調がもう少し回復するまでは」と、ダイエットを禁止されていたのだ。体が健康的になった反面、心が荒んでいく私を周囲はなかなか理解してくれなかった。

 私は体質的に瘦せ型だった。家族全員そうだ。

 弟の葵は、無茶苦茶な食生活をしているのに心配になるくらい細い。彼は本気で悩んでいる私の体型を時にいじって遊んでいた。上機嫌な葵の口から出る言葉は8割冗談なのであまり気にしていなかったが、それでも自分が過去最高に太っているのはよく理解していた。

 運動ができるほどの体力がない私がまず始めたのは、食事管理だった。

 白米を玄米に変える。ラーメンはしらたきで代用する。間食は極力食べない。

 そして同時に、体重増加が副作用の薬を少しずつ辞められた。過食が訪れる機会も、明らかに減っていた。

 すると自然に、ゆっくりと体重が落ちて行った。

 それでも油断せずに、家族が食べているアイスやお菓子を一人だけ我慢し、調子がいい日はお散歩に行った。

 真面目でストイックな性格が実を結んで、数か月間で8キロの減量に成功した。

 ダイエットが成功すると、明らかに調子が良くなった。朝から気分さえも軽い。

 ただ、うつ病はまだまだ完治していない。これから先も、薬の副作用や病気の症状で体型に悩まされる日が来るかもしれない。その日を密かに恐れながらも、珍しくミニスカートを手にしてみるのだった。

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救われた音の記憶 #16 『Fanfare』

 こんにちは。架空のラジオ番組、「救われた音の記憶」のお時間です。

 このコーナーでは、毎回一つ、私が様々な病と闘う中で出会い、救われた楽曲などを紹介します。

 

 今回のゲストは、TWICEの「Fanfare」。

 19歳の私から、お便りが届いています。

 

 うつ病で大学を休学することになって、真っ先にこの曲のことを思い出しました。

 この曲がリリースされたのは、私が中学生の頃。ちょうど、学校に行けずに、家にひきこもっていた日々の中でした。

 あの時、世間ではアイドルグループNiziUを発掘したオーディション番組、「虹プロジェクト」が流行っていて、私はその番組を通してこの曲に巡り合いました。

 始めは、夢を叶えた者たちが過去の自分を応援するような、そんな歌に映っていました。この曲を歌えるのは、「今」が成功した人だからなんだろうな。そう思うほど、画面の中のTWICEは輝いて見えました。

『止まんなきゃ気付かない景色だってある

 辛い時は無理しなくていいから

 泣いてもいいの 我慢しないで

 ナミダ 雨の後は虹が見えるはず』

 でも「Fanfare」は次第に、立ち止まったまま何もできない私にも向けられた応援歌のようにも感じました。

 中学生の頃と同じように、再び立ち止まってしまった自分。それでも、周りの時間は進んでいく。周りの時間だけが進んでいく。置いて行かれる気がして、焦って、自分を大切にすることを忘れそうでした。その時に久々に出会った「Fanfare」は、やっぱりまだ私の味方でいてくれました。

『夢じゃまだ終われないなら 諦めないで さあ』

 痛みは、時と同時に少しずつ流れ、今は少しだけ、前を向くことができています。失敗してもいい。遠回りしてもいい。ただ諦めなければ、きっとどこかで、生きていくことはできるから。

『やり直せばいい 何回だって

 繋いだ手 離さないから 約束しよう

 Always by your side(どんな時もそばにいるよ)』

 一度挫折したところから、どうやって起き上がればいいのか。不安は尽きないけれど、それでも立ち止まったから見えたこの景色を、私は忘れずにいたいと思います。

 

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高校時代のお守り

 高校生の時、沖縄に修学旅行に行った際、美ら海水族館で担任の菊池先生にカメのぬいぐるみキーホルダーを買っていただいた。クラスメイトだった響ちゃんたちと、お揃いのキーホルダーだ。

 私は修学旅行から帰って来てから、ずっと通学用の鞄にそのキーホルダーをつけていた。

 何を考えているかよくわからない顔をしているそのカメは、常に不安を抱えている私とは対照的に見えた。

 大学受験の日。行きの車の中で、カメをぎゅっと握りしめていた。

 大丈夫、きっと、上手くいく。

 今日のために積み重ねて来た日々を思い返す。もう何か月も前から、私はこの日をずっと恐れていた。うつがやって来た日のことを思い出す。すべての元凶は大学にあるのだと確信できるほど、三者面談のあの日から体調を崩しながら、受験の準備を進めてきた。

 外部の先生をお呼びして、面接講習会を受けた時、私は一人だけ見学していた。夏休みに面接練習に行った時は、あまりの緊張から練習後にパニックを起こした。

 そんな私が、面接なんて。

 どれだけ薬を飲んでも止まらない不安が、カメを握っていることで徐々に収まっていく。会場には両親も入れないし、知り合いの一人もいなかったけれど、最後まで私のそばにいてくれたのはカメだった。

 大丈夫だよね。きっと、上手くいく。

 彼と目を合わせて、そう思った。

 

 受験だけに限らず、不安なことがあるたびに、私は縋るように鞄からぶら下がっているカメを握った。

 お願い、少しだけ、力を貸して。

 そのカメに触れている間だけ、菊池先生が守ってくれている気がしていたのだ。私は、一人じゃない。そう思うことができたのだ。

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苦しい時の過ごし方

 うつ病でどうしようもなく苦しんでいた時、藁にも縋る思いで色々なことを試した。

 緊張しながら鍼やお灸治療に行き、カイロプラクティックに行き、整体に行き、ヘッドマッサージも受けた。著名な精神科医が書いた本をいくつも母が買って、調べてくれて、「いい」とされていることはできる限りやったつもりだ。でも、どれも長続きしなかったし、その理由は緊張する割に効果を感じられないからだった。それどころか、帰り道に疲れ果てて、泣きながらバスに乗り、停留所に着いた後もどうしても死にたい気持ちが消えずに、車が行き交う道路を何分もじっと眺めていたことだってある。今すぐ駆け出して、撥ねられてしまいたい。もう一秒だって生きていたくない。そんな気持ちをぐっと堪えて、地面の上に立っていた。

 

 結局いくつもの経験を経てたどり着いたのは、鍼でもお灸でもカイロプラクティックでも整体でもヘッドマッサージでもなかった。

 家で発作的なうつ症状が起きた時は、本物の私にアプローチをかける。本物の私とは、うつに取り憑かれた私の奥に眠っている私だ。どうやら、五感に訴えかけるのが重要らしい。アロマ、保冷剤、テレビを点ける、動画を流す、甘いものを食べる。嗅覚と脳は繋がっているから、特に香りなどの、脳にダイレクトに効くものがよかった。母の声が聞こえていなくても、バラの香りは入っていった。

 うつ病の発作は、物凄く体力を奪う。緘黙よりも緘動よりも体力を使った。うつの発作が去った私はもうクタクタで、食事をする元気もなかった。それが数分や数時間では留まらず、数日、時には数週間、数か月続くこともあって、それは言語化することもはばかられるくらいの苦しみだった。

 

 もちろん、苦しい時の最適な過ごし方は同じ病気でも人によって違うだろう。今回書いたのはあくまで私の場合だということを念頭に置いてもらいたい。でもこの経験が、少しでも今苦しんでいる誰かの役に立てばいいと思っている。

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