こころの声を綴って ー場面緘黙症と歩む日々ー

場面緘黙症を含めた不安障害とうつ病、SEKAI NO OWARIについてなどを書いていきます。

場面緘黙症と生理

 私は小学3年生から10年以上場面緘黙症を抱えて生きている。それは小学校でも中学校でも高校でも、晴れの日でも雨の日でも、嬉しくても悲しくても変わらない現実だった。

 私は中学1年生の頃、初潮を迎えた。その頃はもう学校に行けていなかったので、困ることはなかった。

 問題に直面したのは、高校に入学し、毎日登校するようになってからだ。

 生理の日は、当たり前だが、数時間に一回ナプキンを交換しないと血が漏れてしまう。それを緘動に縛られた学校生活の中で送るのは難しかった。

 授業と授業の合間の休み時間だけでは教室からお手洗いに行って、また帰って来られるほどの時間がない。緘動の影響でいつも動きがゆっくりな私は、人の3倍くらい行動に時間がかかった。だからナプキンを交換できるのは、お昼休みの45分間だけだった。

 まず、登校する前に新しいナプキンをつける。大きいサイズのものじゃないと、漏れるんじゃないかと不安だった。それで何とか、午前中をしのいだ。

 お昼休みに何とかお手洗いに着くと、真っ赤に染まったナプキンと対面した。危ない。あと少し放置していたら、漏れていたかもしれない。私はスカートに血がついていないか入念に確認し、スカートのポケットに忍ばせておいたナプキンを取り出した。毎日、登校する前に、家で代えのナプキンをティッシュに包んで、制服のポケットに入れていた。学校だと鞄からポーチを取り出すのも難しいので、落とさないように気を付けながらナプキンを持ち歩いていた。そこでようやく交換し、また午後の授業に戻る。

 幸い、私は生理が重い方ではなかった。耐えがたい生理痛に悩まされることも、出血量の多さに気が滅入ることも、ほとんどなかった。でも不安はずっと離れなかったのだ。

 どこまでも用意周到な私の性格と、忘れてしまったら終わりだという緊張感から、3年間一度も生理の日にナプキンを持ち忘れたことはなかった。でも、思い通りに動けない中で迎える生理は不安だったし、不便だった。何より、この世界は、生理であることを隠したまま生きることを前提にできている。それが、ただでさえ動けない私の不自由を、さらに大きくしていた。

 この記事を読んだ人の中には、「赤裸々に語ってるな」と思う人がいるかもしれない。確かに「生理」という、女性同士でもタブー視されつつある話をここまで詳細に書く必要はなかったかもしれない。ただ私は、場面緘黙症という病気があらゆる生活の中で自分の邪魔をしてくるのかを伝えたかった。近くにいる他人にすら、なかなか伝えられないこと。この記事を出してみた私の勇気が、いつか誰かの勇気に繋がるといい。

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12月の散歩

 鯉にひげがあるなんて、知らなかったな。

 近所のお寺の境内で、池の中を覗き込みながらそう思った。

 毎日のように訪問者から餌をもらっているであろう鯉たちは丸々と太っていて、私の姿を見つけたからなのかこちらに寄って来る。ごめんね、私、餌は持ってないんだ。

 12月。私は毎日40分ほどの散歩ができるまで回復した。杖を使わず、この脚で歩く。近所のお寺を目的地として、その辺りを一周する。お寺で病気の寛解と楽しく大学に通えること、私にも居場所ができることをお祈りして、池で鯉たちに会って、お墓の中を通り抜けて境内を出るのがいつものコースだった。耳にはいつもイヤホンを突っ込んでクリスマスソングを聴いていたけれど、流石にお祈りする時は縁起が悪い気がして音を消していた。

 目の前で行き交う車に、飛び込もうとは思わなかった。すれ違う人々が、私を睨んでいるようにも感じられなかった。

 坂の上から、沈んでいく夕日を見ながらふと思った。

 もしかすると、世界は私が思っているよりもずっと、美しいのかもしれない。

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愛の方程式

 ドラマや映画、音楽や小説の中から得た私の知識によると、親は自分以上に子供を大切に思うものらしい。自分のすべてを捧げても構わない。ただ子供の幸せを願う。そういう生き物らしい。

 私は親になったことがないので、親から子供に対する愛情を完璧に理解することはできない。ただ、私は親になったことがないので、子供サイドの愛情なら理解することができる。

 子供は自分以上に親を大切に思う。自分のすべてを捧げても構わない。ただ親の幸せを願う。そういう生き物だ。

 一見、これは素晴らしいイコール関係になっていると思われる。お互いを尊重し、心から愛する。でも時にこれが、両者に痛みを与える。

 私の経験の場合、それは病気だった。うつ病になって、私には希死念慮が訪れた。自分はいない方がいい。今ここに生きているこの瞬間も、周りの迷惑でしかない。死んでしまいたい。今すぐに。

 それが親のためになるのだと、本気で信じていた。私がいなくなれば、きっと楽になると。

 でも母は怒った。「それだけは許さない」と。当時の私は自分のことで手一杯で、そう言われた時は、もう私は生きることも死ぬことも許されないのだと言われた気分だった。

 今になって、あれは私たちがお互いを大切に思うがゆえに起きた亀裂だったのだと思う。楽になって欲しい。死なないで欲しい。それぞれの真っ直ぐな願いが、真っ直ぐすぎるがゆえに交差してしまった。

 私は今でも、両親に幸せであって欲しいと願っている。もし彼らが病気になって、移植が必要にでもなれば、躊躇いなく自分の臓器を差し出したいと思う。

 でも母はそれを拒否した。「子供から臓器を奪ってまで生きたくはない」と。だからきっと、もし母が病気になって、移植が必要になっても、私は自分の無力さを痛感しながら、彼女が弱っていくのをただ見ることしかできない。

 愛することは、愛せることは、この世の何よりも美しいものだ。もちろん、すべての親子がこのような愛情を持ち合わせているとは思っていない。自分の親が愛せなくても、自分の子が愛せなくても、それは自身を責める必要もないことだ。親も子供も、お互いを選べるわけじゃない。愛し合う親子が、たまたま運がよかった。それだけのことかもしれない。

 私はきっと、幸運な家庭に生まれたのだろう。自慢に聞こえるかもしれないが、自分の幸福度を理解せずに、不幸自慢する方が失礼な気がするので、あえてそう書いておく。

 幸運な家庭に生まれて、愛情を受けて育って、苦しみの中にいる時も、家族のことを考えていた。

「あなたに、私より幸せになってもらいたい」

「でも、私はあなたが幸せじゃないと、幸せにはなれない」

 今回の場合は親子だったけれど、これが友人だったり、恋人だったりする場合もあるだろう。私はきっとこれから、たくさんの愛に触れ、癒され、苦しみ、生きていくことになる。

 そして考え続けるのだろう。

 それでもきっと、愛の方程式は永遠に完結しない。

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特別じゃなくてもいい

 ある日、カップラーメンを食べていて思った。

 美味しい。

 あ、これは言うまでもない話だが、大事なのはそこじゃなくて。

 私はラーメンが大好きだ。人気店に並んで食べたこともあるし、病院の帰りにご褒美としてコンビニでラーメンを買ったこともあった。そのすべてが好きだった。

 でも、この安くて、いつ誰が食べるかわからないようなカップラーメンも、私は好きなんだな。

 

「優しい言葉は、たとえ簡単な言葉でも、ずっとずっと心にこだまする」

 これは、マザーテレサの名言だ。

 その言葉を、急に思い出した。

 そうか。大切なのは、特出したものばかりじゃない。

 

 どこかで私は、自分の書く文章が平凡ではないかと恐れていた。

 一丁前にブログを書けるほど、作家を夢見ることができるほど、私には特出した文章力はないんじゃないか。

 どんでん返しの衝撃展開も、難解なミステリーも、私には書けないけれど、だからといって自分を悲観する必要はないんじゃないか。きっと私が書くべきものは、今までの経験を基にした言葉だ。誰にも真似することのできない私だけの「何か」が、そこには無意識に隠れているはずだから。

 私は人間だ。母親の胎内で細胞分裂を繰り返して生まれ、小さな体と心を少しずつ成長させて、痛みも喜びも一身に受けて、今日までこうして生きてきた。

 人にはそれぞれ好きなものと嫌いなものがあるように――そう、私がラーメンを好きなように、個性があるのだ。細い麺が好きな人も、太い麺が好きな人も、濃い味が好きな人も、薄い味が好きな人も、そのすべてが好きな人もいる。

 誰かを羨んで、理想としても、無理に演じる必要はない。

 簡単な文章で構わないのだ。

 きっと私が書くべきなのは、それ以上に優しい言葉なのだから。

理由がなくてもいいんだよ

 「いいな」と言われたことがある。

 「病気があって、入院できて、ちゃんと『許される理由』があっていいな」と。

 私の苦しみを軽視されたようで、悔しかった。でもその反面、納得してしまう自分もいた。返せる言葉が見つからなかった。

 そうだよな。考えてみれば私も、病名がつくまで、個性と病気のラインが引けずに、「理由」がないまま普通の生活を送らなければいけないのは、本当に大変だった。

 世間はいつでも、「理由」を求めるから。

「何で泣いてるの?」「何で苦しいの?」「何で死にたいの?」

 そう訊かれるたびに私は、「何で?」と思っていた。

 何で、理由がないといけないの?

 わかっている。苦しいのは「何となく」であること。周りを納得させられるような「理由」がなくて、それなのに抱いてしまうこの感情を、誰にも受け止めてもらえないこと。明確な理由もないのにこんな気持ちになってしまうことが、一番苦しいのに。

 そこまで言語化できるようになったのは、その問いを抱えてから十何年も経ってからだった。

 だから、今の私から伝えたいこと。

 

 理由がなくても、「苦しい」と言っていい。感じる気持ちがあるのなら、そこに嘘も偽りもないはずだ。

 でも、多分、世の中はそんなに甘くない。理由がなければ、休むことも許されない。私たちが生きているのは、そんな意地悪な世界だ。

 でも、誰も信じてくれないのなら。せめて自分だけは自分の味方でいて欲しい。

 こんなことを書いている私も、全然自分の味方になれない。幸せなことに、周囲の人たちは私のことを理解して、守ろうとしてくれている。それなのに、私は、私だけは、いつまでも自分に冷たく、毒を吐き続けている。自分を好きになろうと、誰よりも味方でいようと、努力した。でもやっぱり、希望を抱くことが怖い。

 そう。本当は、怖いだけなのだ。「大丈夫っしょ」と現実を軽視して、余裕をかましていたら、いつか大きな絶望が、私を迎えに来るんじゃないか。希望を見てから絶望を感じた時ほど、辛いものはない。それなら、最初から希望なんか持たない方がいい。今までの経験から自分を極限傷付けないようにした結果、働いたこの思考は、きっと一種の防御反応なのだろう。

 ……こんな私が書いた文章には、説得力がないかな。

 ただ、年齢も性別も職業も関係なく、理由なんかなくても、涙を流してもいい。「苦しい」と言ってもいい。そんな世界であって欲しいと、心から願っている。

 

 自分の痛みを、せめて自分だけは、認めてあげて。

 何の計画性もなくこの記事を書いていて、ふと思った。

 

 これはきっと、私が私に言いたかった言葉なんだ。

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うつ病の誤解

 うつ病の当事者として、今の社会に思うことがある。

 うつ病は、その症状を多少誤解されているのではないかと。

 

「俺、マジ鬱」
 そういう言葉をよく聞く。

 鬱=「だるい」「面倒くさい」。そんなニュアンスが広まっているからこそ、簡単にそんな言葉を口にして欲しくないと思う。

 

 実際、私もうつ病を患う前は、「うつ病ってあれでしょ?気分が落ち込んで、死にたくなったりする病気でしょ?」と思っていた。うつ病を説明される時に使われる画像などは、人が真っ暗な部屋の中で頭を抱えていたり、座り込んでいたりするものが多い。

 うつ病になってから、そういう画像を見て思った。

 これは、リアルじゃない。

 一番症状が酷かった時は、座ることもできなかった。一日中、それが何か月も、場合によっては何年も、ベッドの中から抜け出せずに、光の見えない世界を生き続けなければならない。

 うつ病は甘えでも怠けでもなく、大袈裟でも冗談でもなく、本当に動けなくなる病気なのだ。ベッドから起き上がれない。トイレにすら行けない。お風呂なんて入れるわけがない。実際に経験した私もなぜそうなってしまうのか理解できなかったから、きっと経験したことがない人が理解するのは不可能に近いと思う。

 うつ病は動けないだけじゃない。気分の落ち込みも伴うものだが、それも「気分の落ち込み」なんて言葉では片付けたくないほどに抗えないものだった。

 テストの点が悪かった。友達と喧嘩した。仕事で怒られた。気分が落ち込むことは、生きていれば誰だってあるだろう。打たれ弱い私も、今までの人生の中で何度も落ち込み、泣いて、自暴自棄にすらなった。

 でもうつ病の気分の落ち込みは、次元が違った。自分の中だけでは収まらずに、叫び続け、たくさんの薬を飲んで鎮静させないと生き延びられないほどに。例えるのがすごく難しいのだけれど、とにかく自分の力でどうこうできるものじゃない。死神が乗り移っているようで、思考、行動、感情、意欲、私の中にあるものを、すべて奪っていく。残ったのは、死んで欲しい自分と、果てしない絶望だけ。そんな世界で生きていくことが嫌になるなんて、言うまでもないと思う。

 うつ病は日常的な感情の延長線上にあるような病気じゃない。これからもいくつもの困難に直面していくであろう私だけれど、もうあれ以上の苦しみはこの世にないと本気で思うほど、生き地獄だった。あの日々を生き抜いたことが奇跡だとまで思う。

 うつ病は、人によっては命懸けの病気なのだ。

 それなのに、どこか軽視されがちである。体の病気と同じで、気合や根性でよくなるものではない。家の中でだらけて、安らかに眠っているわけじゃない。生死の狭間を悶え苦しみながら生きているのだ。

 私は、ただ悔しかった。自分の過去を否定されるのも悔しいけれど、同時に、これから同じような苦しみに遭う人たちが、あんな扱いを受けると思うと、今から悔しくてたまらないのだ。

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いろんな恐怖症を乗り越えて

 対人恐怖。赤面恐怖。スピーチ恐怖。電話恐怖。視線恐怖。会食恐怖。振戦恐怖。書痙。子供の頃から、本当にたくさんの恐怖症を抱え、一つずつ乗り越えてきた。未だ乗り越え切れていない恐怖症もある。

 今思うのは、恐怖症というものは、周囲の人間の理解にかかっているということ。

 様々な恐怖症を10年ほど抱え、大人になった今、私は自分のことがようやくわかってきたし、周囲の人間もよく理解してくれている。けれど最初からそうだったわけじゃなかった。

 恐怖症は、目に見えない。

 だから、簡単には信じてもらえない。自分が抱えている不安度が数字になって見えたらどれほどいいかと、何度思ったかわからない。

 それでも、少しずつ自分の苦しみを言葉で伝え、病名がついて、配慮のある高校で居場所を見つけた。

 

 子供の頃、私が欲しかったのは、「病名」だった。

 病院は苦手で、怖い場所ではあったけれど、その勇気を捧げてもなお、「病名」が欲しかった。あの頃の私にとって病名とはつまり、「普通ではないことを許されるための称号」だったのだ。その称号がもらえれば、周囲の理解が進むと思っていたし、実際そうだった。

 病名がついてからは、周囲の対応が少しずつ優しくなった。それは病気であることが判明したからというよりも、病名がわかったことで対応方法が判明したからのようだった。

 自分自身も、謎に包まれていた自分のことを知るきっかけができた。ああ、そうか。病気だから、だから私はできなかったんだ。そう思うことで、自分の中にあった罪悪感が薄れて行った。

 それでも、病名がついたからといって、病気がよくなるわけではなかった。高校に進学しても、私は多くの恐怖症を抱えて生活していた。人の目すら見られないし、音読もできないし、教室でお弁当も食べられない。担任の先生との二者面談では、筆談でやり取りをしたけれど、緊張のあまり手がブルブルと震えて、簡単な漢字すら間違えてしまった。そんな自分を恥じ、貶し、泣いたこともたくさんあった。

 

 今、大学生になった私は、ほとんどの恐怖症を克服した。

 最初は、先生と一対一でお話しをして、一文節ずつ話せるようになった。それから、仲良くしてくれたクラスメイトを引き入れて、少しずつ話せる人の輪を広げていった。教室で「おはよう」と言えるようになってから、音読にも挑戦した。勇気を振り絞って、鏡で何度も自分の顔を確認して、インターフォンにも出られるようになった。

 闘って、壊して、仲良くなって、乗り越えて、たどり着いた「今」は、とても自由な世界だった。数年前の私が、想像もできなかったほど。自分の意思を、自分で伝えられる。お買い物もお散歩も、一人でできる。私は今、そうした些細な自由に出会うたびに、いちいち感動しながら生きている。

 だからこそ思うのだ。あの日々を、よく生き抜いたものだと。

 幼い頃の私に言いたい。何の言い訳も許されず、一人で泣いている少女が目の前にいるのなら。

 彼女を抱きしめて、言いたい。

 よく頑張ってるよ。あなたの抱えている生きづらさは、あなたのせいじゃない。困難なことはたくさんあったよね。でも私は、あなたのおかげで、今もこうして生きている。

 闘ってくれて、ありがとう。

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伝えるのを諦めたらいけない

 私は、伝え続けなければいけない。

 自分の経験を。それを踏まえた、当時の感情を。

 私はずっと、伝えることを諦めて来た。場面緘黙症を患ってから、自分の意思はないも同然だった。伝えられない私の周りからは、人が離れて行くばかりだった。

 でも、高校で、伝えられない私にも近付いてくれる人たちと出逢った。話せない私を当たり前のように受け入れてくれた。初めてだった。「話せない」私を認めてくれたのは。声が出ない自分をようやく肯定してもらえたから、きっと声が戻ったのだ。

 幼い頃から、社会に適合できなかった。敷かれたレールの上を歩けなかった。

 そんな私にできる唯一のことといえば、自分のその経験を発信することくらいしかないのではないだろうか。難なく「普通」の生活を送れている人に、こんな生き方もあるのだと知ってもらうために。私と同じような境遇の人に、「あなたは一人じゃない」と伝えるために。

 私も、たくさんの言葉や音楽に助けられてきた。「普通」じゃなかった彼らが、何度も傷付いて、それでも立ち上がって、自身の苦悩を発信してくれたから、私は今生きている。

 自分がそこまで誰かの役に立てるという自信があるわけじゃない。ただ、これは恩返しのようなものなのだ。

 優しさの連鎖を、途切れさせたらいけない。もし、私の言葉で、救われる人が、「役に立った」と思う人が、「私と同じだ」と思ってくれる人が一人でもいるのなら。その可能性が少しでもあるのなら。

 私は、伝えるのを諦めたらいけない。

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日記

 私は、9年近く日記を書き続けている。

 始めは、誰にも言えない感情や葛藤を吐き出す場が必要だと無意識に考え、ノートに縋った。私が偽ることなく正直に自分の気持ちを話せるのは、「紙」だけだったのだ。

 あれから、数年が経った。義務でもない日記をこんなに長年書き続けられているのは、今でも「紙」が私の親友であり、理解者でいてくれるからだ。

「ねえ、今日こんなことがあったの。聴いてくれない?」

 自分の気持ちを整理しながら、ノートにそう話しかける。

 

 ある時、数年分の日記を振り返っていた。それを読んで思ったのだ。

 日記というのは不思議なものだ。その日その時のその感情が、何年か後にこうして映し出されることがある。もう終わったことも、永遠の課題も。いつか、これを読んでいるのが自分でも、自分じゃなくてもいいんじゃないかと。

 私は日記を書く時、毎日つけることも、期限も、分量も、特に決めていなかった。ただ一つだけどうしても譲れないのは、手書きで日記をつけるということだ。その時の感情や状態が、筆跡には強く出る。焦っている時や言葉が溢れ出して止まらない時は殴り書きのようになっているし、気分がいい時は安定した文字を書いている。だから、どんなに腕が痛くなっても、面倒でも、手書きで日記をつけることだけは重要視していた。

 その時の感情をこうしてここに記し、閉じ込めておくことができるって、すごいことだと思う。どれほど時間が経っても、今のこの一瞬が永遠にここに刻まれるのだから。

もし、あのまま歩いていたら

 考えることがある。

 私は小学生の頃から、不登校児だった。中学校も高校も大学も、必ずどこかで行けなくなる時期がある。

 私の幼馴染は、どうしてだか優秀な子ばかりで、偏差値の高い大学に進学した人もいるし、プロスポーツ選手になった人もいる。

 彼らの近況を聞くたびに、自分と比べられずにはいられなかった。

 同じスタートラインに立っていたはずの彼らは、今やもう、手の届かない存在になってしまった。

 私は別に、不登校になったことを後悔しているわけじゃない。もし不登校じゃなければ、私はH学園に進学することもなかっただろうし、そうしたら、大切な友人や先生方にも出逢えなかった。だから自分の選択を後悔しているわけじゃない。

 ただ、考えることがあるのだ。

 中学生の頃、頑張れなかった約2年半の間、もし私も、みんなと同じように頑張れていたら。勉強に励み、部活動に明け暮れ、学校生活を送れていたら。今はどう変わっただろうか。

 私は中学生の頃、まだ学校に通えていた頃、受けたテストの結果は上出来だった。中学校のテストは小学校のとは違う、もっとレベルの高いものだということは兄の影響で知っていた。だから必死で勉強して、満点が取れた教科もあった。中学1年生前期の成績を4人きょうだいで比べると、私が一番上だった。母はそのテストを見て思ったという。「これなら、優よりもレベルの高い高校に行けるかもしれない」と。両親は学歴厨ではないし、きょうだいと比べられたこともないし、私の学校を批判されたこともない。けれど、期待に沿えなかったと思うと、申し訳なくなるのだ。同時に、知りたかった。私は、諦めずに努力し続けたら、一体どこまで登り詰めることができたのだろうかと。勉強だけじゃない。スポーツだって、楽器だって、私は病気もなく弛まず努力すれば、どんな景色が見えたのだろうかと。

 結局私は、偏差値すらない通信制高校に進学した。そうするしか選択がなかった。

 そのH学園では、3年生の途中でうつ病を発症するまで、成績は上位の方だった。それでも、やはり全日制の高校とはカリキュラムが違う。私はテストで満点を取っても、期末の成績表がオール5でも、どこかで劣等感を覚えていた。

 きっと私は、同い年の、全日制に進んだ彼らと比べれば、学力が低い。場面緘黙症の影響で書道も全然上手く書けなかったし、体育もできなかったし、英語も喋れなかった。それでも必死に集めていた知識さえ、うつ病になって砕け散った。

 比べるべきじゃない。私には私の生き方がある。

「こころは、その分病気と闘ってる。それってすごいことだよ」

 母はよくそう言ってくれる。

 今私が経験していること。それが何にも代えがたい経験なのも、何となくわかっている。ただ、目に見える結果が、私にはないのだ。それだけのことが、いつまでも、私の自信を奪っていく。

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