
残暑が厳しいグラウンドで、来たる運動会のリレーの選手決めは行われた。
学年全員が集まったグラウンドの、斜めに一直線、100メートルの白線が引かれていた。そこを、流れ作業のように二人ずつ走って行く。
小学生最後の運動会。元々足が速い方ではなかったが、負けず嫌いな私は意地でも「リレーの選手に選ばれるぞ」と意気込んでいた。
小学生にとってリレーの選手とは、その後の一年間の地位が決まるほど、重要なものだった。
クラスで鬼ごっこをする時は、去年リレーの選手だった人しか鬼になれない、とか。エンドレスリレーでチーム分けをする時も、毎回リレーの選手だった子から召喚されていく、とか。いくら鬼になりたくても、一人残るのが嫌でも、「だってこころちゃん、リレーの選手じゃなかったでしょ?」と言われておしまいだ。それほどまでに、リレーの選手というのは一年間の権利を保障する、大事な指標だった。
100メートルを走り終わった時、告げられたタイムは18.7秒。決して満足のいく結果ではなかった。遅い。あまりにも遅すぎる。全員が走り終えるのを待っている間、学年で一番足の速い女の子が14秒台を叩き出したとグラウンドが盛り上がっていた。
結果的に、当然のようにリレーの選手には選ばれなかった。最後の希望は、呆気なく砕け散ったのだ。
どうせなれないと、わかっていた。何かスポーツを習っているわけじゃないし、だからといってそれに匹敵するくらいの努力を積み重ねてきたわけでもない。それでも、やっぱり悔しかった。悔しくないふりをしていたけれど、家に帰って来たら張り詰めていた糸が切れたように涙が出た。
その時、一階で、誰かが帰って来る音がした。
私が意地でもリレーの選手になりたかったのは、鬼ごっこやエンドレスリレーの時に有利になるからだけではない。そもそも、半年後にはもう卒業するのだ。もっと大きくて揺るぎない理由は他にあった。
リビングのドアが開けられ、4歳下の弟の声がする。
「母さん!オレ、リレーの選手になったよ!」
「えー!すごいじゃん!」
ドアがバタンと閉まる音がする。
私に追い打ちをかけるような無邪気なその声を聞いて、また涙が出た。2歳下の妹も、リレーの選手に選ばれたことはもう知っている。情けなさから、涙が止まらなかった。
私だけだ。
3年生の時もそうだった。あの時は6年生に兄がいて、1年生に妹がいた。2人とも、リレーの選手になって帰ってきた。何にも選ばれなかったのは、やっぱり私一人だけだった。
申し訳ない、と思っていた。お母さんに、お父さんに、申し訳ない。きょうだい全員がリレーの選手だったら、きっと誇らしいだろうに。自慢できるだろうに。高学年リレーと低学年リレーは時間が違うけれど、それでも、我が子全員が出場していたら、すごく楽しかっただろうに。
いつからか、きょうだいの中でも劣等感を抱くようになった。スポーツ万能で、野球やバスケを習っているきょうだいたちに、敵うはずがない。自信が、また一つすり減った。
あの時から運動に関する自信はすり減ったままだ。でも、こうして文章を書くことで、私は別の自信を育てようとしていた。
私は運動に縋らずとも、生きていけるのだと。
そういえば、リレーの選手決めで敗北した日もまた、私は文章を書いていた。