こころの声を綴って ー場面緘黙症と歩む日々ー

場面緘黙症を含めた不安障害とうつ病、SEKAI NO OWARIについてなどを書いていきます。

「甘やかしすぎ」

 小学生の頃、私はよく学校を休んでいた。そのたびに、2歳下の妹が連絡帳を届けてくれていた。

 どんなに頑張っても、学校が怖くて登校できない日がある。行かなきゃいけないのはわかっているのに、それでもやっぱり足が進まない。すべてに敗北したような気持ちで、授業が行われている時間中ずっと、自分の部屋の中にこもっていた。

 

 私が欠席したある日、帰宅した妹から言われた言葉を覚えている。

「今日、○○ちゃんに言われたの。『今日もお姉ちゃん休みなの?』って」

 ○○ちゃんというのは、私も知っている、妹のクラスメイトだった。その子のお姉ちゃんが私と同じ学年にいるので、知っている。

 妹は、怒っているような、悲しんでいるような、複雑な表情をしていた。

「うん」

「それでね、○○ちゃんが……。『お母さん、甘やかしすぎじゃない?』って」

 一瞬、彼女が何を言っているのかわからなかった。

 アマヤカシスギ……?

 脳内でゆっくり、「甘やかしすぎ」という日本語に変換される。

 その途端、「ああ」と思った。静かなさざ波のような絶望だった。

 返す言葉がなかった。私は、怒っていた。甘やかしすぎ?私、毎日学校に行こうと、頑張っているのに。休んでしまった日だって、遊んでいるわけじゃない。行けた日の方が、よっぽど楽だ。喋れない中でも、頑張っているつもりのに。同じような言葉が、頭の中で繰り返される。その頑張りが、外から見たら甘えにしか見えないのだと思ったら、悔しくてしょうがなかった。

 ○○ちゃんが、「お姉ちゃん、甘えすぎじゃない?」じゃなくて、「お母さん、甘やかしすぎじゃない?」と言ったことにも腹が立っていた。だって、学校に行けないのは私のせいで、お母さんは関係ないのに。

 むしろ母は一番の支えだった。遅刻する時は学校まで送ってくれたり、欠席した時は先生と電話を繋いでくれたり、できる限りのことは全部尽くしてくれているのに。私が楽しく学校に行けることを、誰よりも願ってくれているはずなのに。

 甘えているんじゃないか。その日から感じるようになった自分への疑念。○○ちゃんに悪意はなく、ただ純粋な疑問だったのだろうということもわかっている。

 誰も悪くない。でも、私は思うようになった。甘えているんじゃないか。頑張りが足りないんじゃないか。どこまで行ってもその疑念は私を追いかけてきた。

「甘やかしすぎ」

 それは永遠に拭われない、無垢な呪いのようだった。