
大変だ。家に先生がやって来るという。
大変だ。突然の家庭訪問に、私は大いに戸惑った。
先生が家に来る理由は、今日私が学校を休んだからだった。休んだから、配られたプリントや明日の時間割を伝えに来るという。今まで、そんなことはなかったのに。先生がどうして突然、問題児の家庭訪問をしようと思い立ったのかはわからない。「甘えて」見える私のことを、説得しようと思ったのかもしれない。
「先生が、今からうちに来るって」と学校からの電話を切った母から言われた時は、稲妻に打たれたような衝撃に打ちひしがれた。一瞬、母と先生が話すだけで、私は部屋に隠れていてもいいかな……と祈るように思った。けれど母には呆気なく、「こころも出るに決まってるでしょう」と言われた。
「今から向かいます」という電話が来てから、先生が到着するまで、私はずっと泣いていた。どうしよう、どうしよう。敵が侵略してくるような感覚だった。私一人殺されるような気分なのに、周りの時間は呑気に流れていた。そのギャップが苦しい。
家の外で、すぐ近くで、バイクが停車する音がする。もう逃げられない。泣いていたことがバレないように、何とか息を整える。それでも、恐怖と不安で呼吸が止まりそうだった。
玄関で「ピーンポーン」と間の抜けた音が鳴った。その音が、私には絶望の合図にしか聞こえなかった。母が慌てたように玄関へと出て行った。
先生とは、玄関で数分会っただけだった。でもその数分が、果てしない時間に感じられた。
いつもは明るく話せる家なのに、先生がいるだけで声が出なくなる。それがどれだけの恐怖か、きっと誰もわかっていなかった。
彼は、知っているだろうか。毎朝私がここで、学校が怖くて泣いていること。
そう思いながら、数枚のプリントを受け取った。……これだけの量なら、次に登校する時でもよかったのに。
それから、学校を休むたびに家庭訪問が実施された。学校に行けば一日中不安と闘い、休めば先生が家にやって来る――そんな逃げ場のない「地獄のシステム」が完成してしまった。
そうした日々は、私の心を少しずつ削っていった。やがて「死んでしまいたい」と思うようになった。私が子供だったから、大人たちはことの重大さに気付いてくれなかった。
ある日の朝限界が来て、「家庭訪問が嫌だ」と泣きながら母に訴えた。断ったら先生の好意を無碍にしてしまう気がして言えなかった言葉が口から出た。「死にたい」とまでは言えなかったが、その恐怖と不安をたどたどしい言葉で母に伝え、それをオブラートに包んで母が先生に伝え、結局家庭訪問はなくなった。
当時、先生が善意でそうしてくださっていたというのは小学生の私でもわかっていた。でも、場面緘黙症の私にとって、家に他人がやって来るというのは、唯一の安心できる居場所を奪われることにほかならなかったのだ。