こころの声を綴って ー場面緘黙症と歩む日々ー

場面緘黙症を含めた不安障害とうつ病、SEKAI NO OWARIについてなどを書いていきます。

学校を休んだ日は

 学校を休んだ日のほとんどは、家に閉じこもっていた。けれど、それを見兼ねた母は、たまに大人の集まりに私を連れて行ってくれた。

 大人の集まりとは、時に弟の幼稚園のバザーだったり、時に小学校のPTAの会議だったりした。

 弟の幼稚園のバザーでは、母が仕事をしている最中、誰かのお母さんが私の相手をしてくれた。私が話せなくても、頷きでコミュニケーションを取ってくれた方を覚えている。また、弟の幼稚園のイベントで人形劇を披露する時は、その練習に連れて行かれたこともあった。自分も幼稚園児だった頃に見ていた人形劇が、目の前で形作られていく様子は見ていて面白かった。

 小学校のPTAの会議は、学校の奥にある、「普通」の生活を送っている児童なら入る機会のないような会議室で行われた。私も、そこに連れて行かれるまで、そんなところに会議室があることさえ知らなかった。

 その部屋には私専用の机があった。大人たちが会議している間、そこで宿題をしていた。たまに担任の先生が会いに来てしまうから、入り口の方を定期的に見て肝を冷やしながら。

 大人の集まりの他にも、ファミリーサポート制度の援助側となって、赤ちゃんから幼稚園児までの子供と遊ぶ手伝いもした。ファミリーサポート制度とは、子育て支援が必要な人と、子育ての援助ができる人が会員となって、地域全体で子育てを支え合う制度のことをいう。母は、その援助側の会員だった。

 小さい子と遊ぶのは好きだった。不思議なことに、小さい子と遊ぶ時だけは緘黙状態に陥らず、いつもの私で過ごすことができた。相手にどう思われているのだろうという不安がないことで、緊張せずにすんだのかもしれない。平日の昼間から赤ちゃんを抱っこして家の周りをお散歩したり、公園に出かけたり、家の中でディズニー映画を観たりもした。その時間だけは、学校に行けない罪悪感に駆られることはなかった。

 不登校期間に出会った子供たちはたくさんいる。彼らが成長するにつれ、関わる機会は減ってきたけれど、それでも時々、勝手に遠い親戚のような気持ちで感慨にふけっている。

 

 幼稚園のバザー。人形劇の練習。PTAの会議。ファミリーサポート制度のお手伝い。

 幸いなことに、そのどこにも、不登校の私を咎める人はいなかった。

 今になって思う。きっと母は、不登校で引きこもり気味の私をこうして外に連れ出すことで、私と社会を、どうにかして繋げてくれていたのだ。