
その夏、私は一冊の本に出会った。
SEKAI NO OWARIのSaoriさんが書いた小説、「ふたご」を書店で目にしたのは、夏休み、母方の祖父母の家に行く途中の出来事だった。電車を乗り継いで東京まで行く途中、駅の本屋の店頭に「ふたご」が並んでいた。
買うつもりがあったわけじゃない。ただ時間を持て余していたのか、その書店に寄った。黄色を基調とした表紙に、「ふたご」という3文字が刻まれている。学校で習った版画のようだと思いながら、本を手にする。帯には、『SEKAI NO OWARI Saori、初小説!』と書かれていた。
本をパラパラとめくって、ざっくり内容を見てみる。
月島という少年が、主人公に向かって呼びかけるシーンに目が留まった。
『○○ちゃん』
その文字を見た時、頭の中がグラグラと揺れ動いた。今までの世界が壊されていくのか、これからの世界が創られていくのかわからない。ただセカオワに出会った時と同じような、運命的な衝撃が走った。
主人公の名前の形を残したまま、親しみを込めて呼ぶ愛称。それは、私が普段呼ばれている名前と同じだった。
聞き覚えのある響きに心が躍った。思い上がりのように、これは私の物語なのではないかと感じた。
その場で私は、「ふたご」を購入した。当時の私にとって安い値段ではなかったし、自分のお金で小説を買ったこともなかったけれど、買うべきだと直感的に判断した。これは、私に必要な本だ。
ブックカバーに身を包んだ「ふたご」を、そのまま祖父母の家に持って行って、本の扉を開いた。元々本を読むのに時間がかかる方だったが、「ふたご」はいつもより長い時間をかけて、大切に読み進めた。祖父母の家から帰っても、「ふたご」の物語は続いていた。
印象的なシーンは、たくさんあって一つに選びきれない。主人公が「友達の作り方がわからない」と泣くシーンも、月島が病と闘い泣き叫ぶシーンも、バンドを始めてからの苦悩を描いたシーンも。
そんな「ふたご」の中に、私を救ってくれた言葉がある。それは、主人公が月島との過去の会話を思い返すシーンだった。
「頑張れた方がいいに決まってるじゃないか」
月島は、そう言った。
突然出てきたその言葉が、妙に腹落ちする思いだった。
ああ、そうなのだ。小学生の私は、その言葉を見て思わず涙した。本に涙が落ちて、慌ててティッシュで拭った。
しばらくの間その言葉は、胸に刺さって取れない矢のように、私の心に居座り続けた。
「頑張れた方がいいに決まってるじゃないか」
その言葉を見て、無意識に思い出したのは、学校に行けない日々のことだった。今は夏休みだけれど、9月からはまた、毎朝の闘いが始まる。それが怖くて、嫌で、でも、とっておきのお守りを手にしたような気分だった。もっと言えば、それは私にとって、魔法のような言葉だった。
「頑張れていない」と、思っていた。「こんなんじゃ、全然ダメだ」「頑張りが足りない」と。そう思っていた。
頑張れないことが苦しい。学校に行けないこと、話せないこと、普通じゃないこと。どうやっても、それらが頑張りに繋がらないことが悔しい。頑張りたくても、クラスメイトたちと同じ土俵にすら、上がることができなかった私。でも、頑張れないことが苦しいだなんて、今まで私が生きてきた世界には存在しなかった概念だった。新たな考え方に驚き、戸惑い、そして救われる思いだった。
小説の中にいる彼が、この世界で私の一番の理解者な気がした。
苦しみの中でもがくたび、私は助けを求めるように「ふたご」を読み返した。そこには、いつも人生の絶望と希望が散りばめられていた。私はそれを思いきり吸い込んで、「ふたご」とともに成長した。
「頑張れた方がいいに決まってるじゃないか」
あの夏に出会った魔法の言葉は、今も私を支え続けている。