
小学3年生から、じわじわとこの身を浸食するように場面緘黙症を発症した。
当時、小学生の私ができたことと、できなかったことがある。今日は、それを書いていきたいと思う。
まず、できたことは音読と運動。音読は、決められている文字を読むだけだから、小さい声でもできた。丸読みであることがほとんどだったので、声の小さい私がどこを読んでいるかわからない、といった状況になることもなかった。また、運動ができたのは、元々体を動かすのが好きだった性格も関係しているかもしれない。だから運動会や体育のたびに困る、ということはなかった。
できなかったことは、フリートークと大きな声を出すこと、発表、買い物、電話やインターフォンに出ることだ。
友達を作りたい、仲良くしたいと思う反面、私はフリートークが大の苦手だった。「何か言わなきゃ!」と思うたび、言葉の海に溺れるように何も出てこなくなる。それを「無視」だとか「変な子」だとか、そんな風に捉えられて、満足に友達もできなかった。
音読はできたけれど、「大きな声で」と言われると、途端に泣きそうになった。喉の奥から無理やり絞り出しているような声なのに、これ以上大きくなんて、できるはずがない。わかってもらえないのだと、孤独になるだけだった。
授業参観などで発表をする際は、私一人だけ話さずに、パソコンの前でマウスをクリックするだけなどの役割を与えてもらっていた。クラスメイトには恵まれて、理由を説明しなくても、「こころちゃんはそういう子だから」という暗黙の了解があったような気がする。だから、その点で傷付いたことはなかった。
買い物は、欲しいものがあっても、買わないといけないものがあっても、商品をレジに持って行き、店員さんとやり取りをすることが怖くてできなかった。どんなお店でも、コミュニケーションは発生する。レジ袋や、ポイントカードの有無。今ほど、セルフレジが主流ではなかった。どうしても買い物をしなければいけない時は、母や妹や弟が、代わりに会計をすませてくれた。
また、家に一人でいる時、電話が鳴ったり、インターフォンが押されたりすることもあった。しかし相手が誰であれ、それらに出ることはできなかった。電話は声がなければ意思疎通ができない。インターフォン越しに見える配達員さんも、地域のおじさんやおばさんも、全部が怖かった。出て、声を上げなくはいけない状況になったらどうすればいいのだろう。どこまでも膨らむ妄想に怯えて、何度も来客を突き返してしまった。
小学生の私は、そんな状態で日々を過ごしていた。また、中学生、高校生となると、できることとできないことは変化していくけれど、それはまた後日、書きたいと思う。