いじめ防止講習会の後、小学生の頃のことを思い出していた。
講習会の最初に、講師が言っていた言葉。
「もしお話を聞いている途中で嫌な気持ちになったり、苦しくなったりしたら、無理しないで近くの先生に声をかけてくださいね」
思い出すのは、小学校1年生の時のことだ。
亜美ちゃんと仲良くなったのは、必然的だった。同じクラスで、親同士も知り合いで、兄同士も仲がいい。知り合いがほとんどいない小学校の中で、そうした共通点のある子と仲良くなるのは、もはや必然だった。
亜美ちゃんは、面白い子だった。私よりも友達が多くて、人見知りをしない。たまにわがままなところはあるけれど、それは当時の私たちの年齢を見れば仕方のないことだった。
けれどいつからか、亜美ちゃんは私に理不尽な要求をしてくることが増えた。もう一人、一緒に学校に行っていた子を待たずに、私を学校まで引っ張っていくとか。授業中に当てられて正解したら、睨まれるとか。「今日、こころちゃんのどこが悪かったのか自由帳に書いて、明日見せること」と言って、「宿題」を出すとか。彼女が何をしたいのか、理解できなかった。でも、当時の私は、「友達」ってこういう関係のことを言うのかもしれないと思っていた。本気でそう思っていたのか、そう思い込もうとしていたのかはわからない。ただ一つ確かなのは、世界が狭すぎたということだ。
最終的には、ビンタをされるようになった。
理由は、私には理解できないものが多かった。特に理由がないこともあったような気もするが、はっきり覚えていない。
でも、はっきり覚えていることもある。
学校からの帰り道。1年生は上級生よりも早い時間に下校する。私たちの家の方面に帰る児童もそう多くなかった。人気のない道に出ると、亜美ちゃんに叩かれた。
1回。バチンという音が、道路に響く。たまに頬ではなく唇に当たることもあって、そういう時はあまり痛くなかったけれど、それがわかっていたのか亜美ちゃんは「今のは痛くなかったから、もう1回」と訳のわからない要求をした。
2回。道路に、涙が落ちた。2回叩かれると、私は痛みと悲しみから決まって泣き出した。亜美ちゃんはその様子を見て、呆れたように「あー、また泣いた」と言うだけだった。
私の家に着く前に、亜美ちゃんの家の前を通り過ぎる。彼女とはいつもそこで別れていた。
別れ際、毎回亜美ちゃんが囁くように言っていたセリフを覚えている。
「誰にも言わないでね」
私はその声に頷き、なぜか律儀に約束を守って、自分を苦しめている現実をお母さんにも言うことができなかった。
彼女が私にビンタをする時は、決まって他人の目がない時だった。帰り道だけじゃなく、休み時間に水道の陰に隠れてビンタをされたこともある。多い日で、7回ほどのビンタを受けていた。
しばらくはずっと亜美ちゃんとの約束を守ってきた私だけれど、そんな学校に行くのが嫌になって、仮病を使った日があった。母はそうとも知らずに私を病院に連れて行った。そこで言われたのだ。「何でもないですよ」と。
家に帰ってきて、母は怒っていた。部屋の中で洗濯物を干しながら、私に向かって「嘘つき」と言った。その様子が、なぜだか亜美ちゃんと重なったのだ。親友だと思っていた彼女だけでなく、大好きな母親からもそう言われているのだと思ったら、もう我慢がきかなくなった。
私は、亜美ちゃんにされてきたことを、包み隠さず打ち明けた。
母は、驚いたようだった。その日そのまま、私を学校に送り届けて、担任の先生に事情を話してくれた。それから亜美ちゃんのうちにも連絡が行って、彼女は泣くまで親に怒られたと聞いた。
後日亜美ちゃんには、謝ってもらった。本当は仲良くしたかった。でもやり方がわからなかったんだという彼女の言い分を聞いて、私も許した。今まで散々苦しんできたことが、こんなに呆気なく終わるんだなと思いながら。当時の私に、「許さない」という選択肢はなかった。でも、それでよかった。私は亜美ちゃんのことを嫌いじゃなかったし、今でも彼女に対して怒っているとか、そんな感情は一切ない。
ただ、今になってもわからないのだ。これを「いじめ」と呼んでいいものか。一般的に「いじめ」と呼ばれるのは、大人数で一人を孤立させたり、攻撃したりすることで、同い年の女の子一人から受けた暴力は「いじめ」と呼んでいいのだろうか。
だからあの日。いじめ防止講習会の日、講師の先生から「本当に安心しました」と言われて傷付いたのかもしれない。私のされたことは、「いじめ」なんかじゃない、もっと生温いものだと言われた気がして。