
学校に行けず、一日中家にこもっていた私に、母が訊いた。
「何かやりたいことはないの?」
学校にも行けずに、対人関係を断っていた娘を心配して、そう尋ねてくれたのだろう。
正直私は、何か新しいことを始める気力も起きなかった。何も、したくない。
でもここで「何もない」と言うことが大不正解なことくらい、わかっていた。
だから言った。希望が1ミリでもなかったと言ったら、嘘になる。けれどまた、むやみに夢を見て、失うのが怖かった。
「……マリンバ」
マリンバとは、木琴をそのまま大きくしたような楽器だ。
そもそも、木琴と出会ったのは小学1年生の冬。6年生の最後の授業参観である音楽発表会は、全校生徒も同時に鑑賞する決まりがあった。冷たい体育館の床に、防災頭巾を敷いて座る。やがて音楽発表会が始まった。1年生の私にとって、6年生はとても大きなお兄さん、お姉さんに見えた。
クラス合奏で、初めて見た木琴に、私は釘付けになった。ぽろん、ぽろん、と雨が降るような音が微かに聞こえる。合奏なので、木琴単体の音はほとんど聞こえなかったけれど、木琴を演奏している姿が、とても恰好よく見えたのだ。
なんて優しい音色なんだろう。そして思った。
いつか私も絶対、木琴を担当するんだ。
1年生の時密かに誓った夢は時を経て現実になった。でも、音楽室に長年置いてある木琴は、鍵盤に貼られているドレミのシールが剥がれかかっていて、何だかぱっとしない。「みんなのもの」という事実にも、退屈していた。
いつか自分だけの、相棒のような楽器ができたら。6年生の音楽発表会を終えて、担当していた木琴とさよならする時、微かにそんな希望が胸を掠めたのは事実だ。
そんな経緯があり、中学1年生の秋、「マリンバ」と口にしたのだ。
母が調べた結果、母の知り合いの知り合いに、マリンバ経験者がいることが判明した。県外に住んでいる方だったので、ダメ元で基礎知識を教えて欲しいと頼んだところ、まさかの許諾してもらえた。
11月の14日だった。先生が来る前から、そわそわしていた。新しい人、もの、知識。それらに対して、不安でいっぱいだったのだ。
先生は、自分のマリンバを解体したものを車に乗せてやって来た。それを家の中で組み立てて、しばらく貸してもらえることになった。続くかもわからないのに高額な楽器を買うことに悩んでいた私たちには、ありがたい申し出だった。
私は一言も話せないまま、マリンバを習った。ぽろん、ぽろん、という懐かしい音がした。声がなくても、音でコミュニケーションが取れるのだ。この音が、私の感情を乗せて、誰かの元に届いたら。この子が、私に生きている意味をくれるんじゃないか。
でも、私が感じていたのはそんな希望より、プレッシャーの方が大きかった。
みんなに苦労させてまでやりたいって言ったことなんだから、続かせないと。でも、もし続かなかったら、どうしよう……。
そんな不安が、脳裏をよぎっていた。
あれからしばらくして、両親にマリンバを買ってもらった。すべてに敗北した私にとって、マリンバは新たな希望だった。そして両親が買ったのは、その「希望」のようだった。