
場面緘黙症の症状の一つに、「緘動(かんどう)」と呼ばれるものがある。
緘動とは、体や手足が思うように動かせなくなってしまう状態を指す。場面緘黙症は、発話が困難になるだけでなく、身体の動きも抑制されるケースがあり、不安や緊張が原因で体が固まってしまうこともあるのだ。
話すことはできなくても、動くことはできた私に緘動が訪れたのは、中学生の頃だった。動くことだけは自由だったはずの体が、自分のものじゃなくなる日が来るとは思ってもいなかった。
中学生の頃、ほとんど家から出ていなかったので、具体的に「いつから」と言うのは難しい。けれど覚えているのは、担任の先生の特別授業。
コロナ禍になり、学校が休校になった。それくらいの時期だった気がする。
中学2年生に進級し、私の担任を受け持ってくださったのは、英語の先生だった。英語と数学が苦手科目だった私だけのために、特別授業を開いてくださることになった。
特別授業は、誰も登校して来ないのをいいことに、誰もいない教室で行われた。1時間くらい、マンツーマンで英語を教えてもらう。その間、母は隣の空き教室で仕事をしていた。
先生は、勉強が好きなのに学校に行けない私のことを「もったいない」とよく言った。だからこそ、特別授業を開いてくださったのだろう。でも、「もったいない」というその言葉が、まるで私を攻撃しているように感じられた。担任の先生は特別授業という贅沢な時間を作ってくださったし、理解のある方だったけれど、どうしても心から信頼することができなかった。
だから、特別授業が嫌だった。英語に対する理解は多少進んだけれど、それでも行きたくない気持ちの方が強かった。勉強したい気持ちより、不安や緊張の方が圧倒的に勝ったのだ。
それが理由なのか、ある日特別授業に向かう途中、どうしても足が進まなかった。比喩じゃなく、本当に進まない。足が、硬直したように動かないのだ。
約束時間が迫り、私を急かす母に向かって、必死に訴えた。
「わざとじゃない。本当に、動かないの」
頭の中では「行かなきゃ」と叫んでいるのに、体だけが別の意志で動きを拒んでいるようだった。
結局その日は、学校まで行って担任の先生にこのまま帰宅することを伝えた。彼女は、私を無理に引き留めることなく、家に帰してくれた。
不思議なことに、帰るとなると、嘘みたいに足が軽くなった。スタスタと歩いて帰ることができる。母はその様子を見て、とても謎に感じていたという。自分でも、どうしてそうなってしまうのか、わからなかった。
けれど私に理由も説明せず、そうして緘動がやって来た。緘動は、話せないよりもはっきりと、私の中に介入してきた。
それは、ただの症状なんかじゃなかった。私の意思を軽々と飛び越えて、体の主導権を奪っていくものだった。