
最後の合唱コンクールは、未だコロナ禍の制限が多くかかっていた時期だったので、例年のように市民会館のホールではなく、学校の体育館で行われた。一クラスごとに距離を保って歌い、他クラスの合唱を教室に映し出されたスクリーンで見ていたらしい。
私は、相談室で特別に、その中継を繋いでもらった。
粗い画像の中に、確かにクラスメイトたちが見える。一度も教室に行けていないので顔も知らない子たちばかりだったが、その中に同じ小学校や同じ幼稚園だった子たちの顔が映る。
知り合いだった指揮者の子が、腕を振り上げる。
最後の合唱曲は、ゆずの「友 ~旅立ちの時~」だった。
中継の音楽は途切れ途切れで、歌声も満足には聴こえなかった。
1年生の時のような、感動は覚えなかった。2年生であった昨年は、コロナで合唱コンクール自体が中止になった。
最後の歌。彼らがこの日のために、どれだけの熱意を持って練習してきたのか、私は知らない。保護者も、観客もいない合唱コンクールだ。彼らの歌声は、大きな体育館に反響するだけ反響して、そのまま吸い取られていくようだった。
やがて、歌が終わる。後奏が終わる。本来そこに存在するはずの拍手は、誰からも起きなかった。本人たち以外その場にいないのだ。当たり前のことだった。
淡々と体育館を後にする彼らが、カメラから外れる。やがて、次のクラスが入ってくる。
私は思った。見られてよかったと。
最後の一年、あなたたちと同じクラスになれてよかったと。
家に帰り、画用紙を広げる。右手に、色鉛筆を持つ。
覚悟を決めるように、ふうっと息を吐く。
これが私にできる、唯一の「合唱」だった。
一年間、ほぼ毎月描き続けてきた絵。ついに最後だ。
3月の桜の絵の上には、「友 ~旅立ちの時~」の歌詞から、こんな言葉を書いた。
顔も知らない、彼らに届けばいい。そう思った。
歌い終えても、拍手すら受け取れなかった彼らに、心からの賞賛を込めた。
『友 さようなら そしてありがとう』