
高校に入学し、毎日登校するようになってから、緘動との闘いに直面した。
身体全体が、重い鎧を身にまとったように不自由だった。最寄り駅から学校まで、普通なら12分で着くところを、大袈裟じゃなく30分かけて歩いていた。私より一つ遅い電車に乗って登校してきた子たちにも、学校に着く前に必ず抜かされる。
授業中に呼名されても、胸の辺りまでしか手を挙げることはできなかった。お友達に手を振ってもらえても、振り返すことができない。さらには顔を上げて水筒を飲むこともできずに、ストローがついている水筒を新たに買ったほどだった。
緘動の時の感覚としては、「水の中を歩いている」というのが納得のいく表現だ。水圧に負けないように、前に進む。でも、水の中で動かそうとする手も足も、思っているより3倍くらい時間がかかる。たまに夢で見るような、どうやっても体がゆっくりとしか動かない。あんな感覚だった。
体育は見学するほかなかった。まさか自分がここまで動けないことを、高校に入学して、学校生活を送るようになって初めて思い知った。クラスメイトたちが体育の授業を受けている間、私は硬いベンチに座って2時間見学するだけ。寒くても、お尻が痛くなっても、虫が制服を上ってきても、落ち葉が頭に被っても、全く動くことができなかった。まるで私は、お地蔵様のようだった。
7月に行われたスポーツ大会でも、クラスTシャツに着替えることもできず、競技が進んでいくのを見ていた。最後に行われた写真撮影では、私一人だけ制服で、どこからどう見ても浮いていた。消え入りたい気分だった。
憧れの女子高生になったところで、髪を下ろして学校に行くこともできない。ふとした時に髪を触ることすらできないからだ。だからいつも変わり映えのないポニーテールのまま、学校生活を送っていた。好きな髪型で登校してくる他の生徒たちが、羨ましかった。
動くことができないというのは、話せないことと同様、意思を伝えることができないということだ。本当の自分じゃないのに、あたかも本当の自分のように思われるのは、とても悲しかった。