
高校1年生の夏休み、家族で宮城県に旅行に行ってきた。2日目の午後、父の提案で東日本大震災の被災地を巡った。
全校児童のほとんどが亡くなった学校や、津波火災の被害に遭い、無残な校舎が展示されている博物館。被災者の証言や当時の映像は、実に生々しく、恐ろしいものだった。
2011年3月11日のあの日。私はまだ4歳だった。恐らく震災当時の記憶がある一番幼い世代だろう。2歳下の妹は全く覚えていないと言うし、4歳下の弟に至っては生まれてすらいなかった。
幼稚園から帰って来て、一人家の廊下でリュックからお弁当箱を出していた。地震が起こったのは、その時だ。2歳だった妹と、臨月だった母と共に机の下に隠れた。私が住んでいた地域は震度5弱程度。食器棚から落ちたお皿が割れた程度で、避難する必要もなかったくらいだ。
当時4歳の私は、世界がどれだけ悲惨な状態に遭っているかなどわかっていなかった。計画停電が始まって、非日常が訪れたが、むしろいつもと違う生活が楽しいと感じるほどだった。当時の記憶は、直接自分に関することしか覚えていない。
成長するにつれて、あの時にどれだけの被害が出て、どれだけ被災地が大変だったのかを知った。実際にこの目で見た自然の威力は、想像を絶していた。地震に、津波に、津波火災。当時のまま残されている被災地の校舎で、津波にかき乱された職員室や津波火災で丸焦げになった教室を目にした。3階の天井まで剥き出しになっていて、窓ガラスはバリバリに割れていた。
誰も悪くない。誰かが意図的に起こした事件でもないし、誰かのミスで起こってしまった事故でもない。私たちがどれだけ平和に過ごしていたとしても、そんなことなどお構いなしに自然災害というものはやって来るのだ。それは、好きなようにこの土地で暮らせる代償のようだった。
被災地周辺の景色は、ほとんどが田園風景だった。青々とした稲が風になびき、遠くの方には山々が連なっている。その景色は実に平和で、11年前の悲劇など想像もできないものだった。
けれど博物館で震災前の街並みを見た途端、全てが腑に落ちた。いくつも立ち並ぶ住宅は一つとして残っていないし、道路もなければ木々も生えていない。同じ場所の景色とはどうしても思えなかった。地震が、津波が奪った日常。それがどれだけ尊いものなのか、同時にどれだけ一瞬で奪われてしまうのかを痛感した。
自然災害というものは、どれだけ気を付けていても必ず訪れる。けれどきっと過去の記憶を語り継ぐことで、私のように胸を打たれる人がいる。現在について、未来について、考えようとする人たちがいる。今が幸せの重さを、実感させられるのだ。