こころの声を綴って ー場面緘黙症と歩む日々ー

場面緘黙症を含めた不安障害とうつ病、SEKAI NO OWARIについてなどを書いていきます。

障害者

 高校1年生の夏、障害者手帳を取得することを両親と決めた。

 きっかけは、高校で保護者向けに開かれた障害者手帳に関する講習会だった。母がそこに参加して、「お守りのように持っておくのもいいのかもしれない」と思ったらしい。

 その話を聞いて、思っていたよりもあっさり「いいよ」という声が出た。

 障害者手帳を取得することは、公的に障害者になる、ということである。

 咄嗟に「いいよ」と答えたのは、いわば謙遜のようなものだった。実のところ、自分が障害者を名乗るなんて、おこがましい話だと思っていた。

 いいのだろうか。この苦しみに名前をつけて、「障害」と呼んでも。「障害」という言葉の重さに気後れしながらも、もうそうできたら、誰にも私の苦しみを否定されない気がした。

 そんな風に、自分自身の気持ちの整理はすぐについた。私が気がかりだったのは、両親のことだった。

 いくらこの話を持ちかけてきたのが母だとはいえ、健康体で生まれてきて、自分たちの前では元気に見える娘が、障害者になったらどう思うのだろう。周囲の人々が傷付くようなことがあるのなら、私はそれが一番嫌だった。

 最初は精神障害者手帳2級。それから2年後。手帳の更新をする際に、3級に下がった。

 

 よく、「障害者」と書くのは「まるでその人が害のようだ」と感じさせるから、「障碍者」や「障がい者」と書くべきだと主張している人を目にする。

 けれど、障害者である私は、別に自分が「障害者」であることを気にしてはいない。

 「障害者」という漢字を見て、「まるで自分が害のようだ」と思ったことは一度もない。私は、「障害者」の「害」は、その人が周りに及ぼすものではなくて、その人自身が生きていく上で感じるものだと思っているからだ。

 生きていく上で感じる害。その害による、生きづらさ。それはほとんどの場合、本人のせいじゃない。

 だから私は障害とさよならするその日まで、胸を張って障害者でいたいと思う。

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