
私は、緘黙状態に入ると、決まって同じ顔になった。それは、普段の私とは全く違う顔つきで、私はそれを「緘黙顔」と呼んでいる。
一重の細い目は、猫のように吊り上がる。鋭い視線は、まるですべての他人を睨んでいるようだった。もしくは、何も考えていない虚無な表情にも見える。意図せずとも、自然とそんな顔になってしまった。
学校というものは、ことあるごとに写真を撮られる。入学記念、初登校記念、スポーツ大会、文化祭……。
そのたびに撮られた写真を見て、愕然とした。そこに写っている私は、まるで知らない子のようだった。笑うこともできずに、ポーズもぎこちなく、カメラを睨んでいる女の子。
全然、かわいくない。
自分がかわいい方だという自覚があったわけじゃなかった。ただ、この私はあまりにもかわいくない。これは私じゃない。
何でこうなっちゃうんだ、こんな顔、誰にも見られたくないと思い、写真が載った学級通信を破りたい衝動に駆られたことが何度あっただろう。
たとえ笑っていても、顔の筋肉が硬直して、変な顔になっている。それはもはや、真顔で写っている写真よりも事故画だった。笑えるようになったら、もっと楽に、解放されるものだと思っていたのに、無意識的に「笑ったらダメだ」「危険だ」と脳が命令しているみたいで、どうしても体に入った嫌な力が抜けない。
家族で撮った写真は、こんなに自然に笑えているのに……。写真を見比べながらため息を吐く。
一度撮ってしまった写真は消えない。今でも、カメラロールや卒業アルバムに写っている自分を見て、恥ずかしさから消え入りたい気持ちに陥ることがある。今すぐ、この写真を持っているすべての人の手元から、私を消したい。そこまで思う。
場面緘黙症は、顔つきまでも変えてしまう病気だった。