こころの声を綴って ー場面緘黙症と歩む日々ー

場面緘黙症を含めた不安障害とうつ病、SEKAI NO OWARIについてなどを書いていきます。

初めてのパニックはスポーツ大会で

 H学園では毎年7月に、学校近くのスポーツセンターを借りて、スポーツ大会という名の、ビーチバレーボール大会が実施される。去年はクラスTシャツに着替えることもできなかった悔しさから、今年は着替えて、ちゃんと写真を撮ろうと意気込んでいた。

 あらかじめその心意気を菊池先生に伝えてあったので、センターに着くと女性の先生が更衣室まで私を案内してくださった。

 無事、クラスTシャツに着替えられたのも束の間、慣れない場所で開催されるスポーツ大会には難所がいくつもあった。

 まず、大雑把にクラスごとに区切られているが、その中では自由席のため、どこに座っていいかわからない。きっと普通の人は、仲の良い子を見つけ出して「隣に座ってもいい?」と声をかけるのだろうけれど、場面緘黙症の私には到底できることじゃなかった。結果的に、長い間どうしようと突っ立っていた私に、クラスの男子が「どこでも座っていいみたいだよ」と声をかけてくれた。おかげで、何とか隅の方に着席することができた。

 競技が始まっても、気を抜いたらいけない。いつも保健室の一角でお弁当を食べている私は、特別にスポーツセンターの会議室のような場所で昼食を摂ることを許可してもらえた。担当カウンセラーの矢代先生が席まで迎えに来てくださり、会議室まで案内してくださった。私は秒針の音だけが響く室内で、空間を持て余したまま、お弁当を口に詰め込んだ。

 「何か変だ」と思い始めたのは、競技が終盤に差しかかった頃だった。

 最初は、少し息が浅くなっただけだった。けれど、次第に胸の奥がざわざわと波立って、息を吸っても吸っても足りないような感覚に変わっていった。今まで経験したことがないような感覚。良くないものだという直感は働いたが、だからといってこれが何なのかは全く分からなかった。

 襲ってくる「何か」に必死で耐えるように、本気で命乞いをするように、右手で左の手の甲を引っ搔いた。赤い痕が、そこに残った。

 競技が終わり、写真撮影が始まる。体育館のそれぞれ隅っこを、カメラマンさんが順番に回っていく。

 写真撮影の前に、矢代先生が席まで迎えに来てくださったけれど、とても行けないと首を振った。振ってしまった。

 行けない、行きたくない。

 でも本当は、行きたい。行きたかった。
 そんな言葉たちが喉の奥で渦を巻く。

 結局、何一つ声にならなかった。

 みんなで並んで写真撮影を行うところをベンチから眺めながら、上げることのできない悲鳴を、また一つ呑み込んだ。ああ、苦しんでいることは、どうやったら伝わるのだろうか。

 無表情は、無感情なんかじゃない。

 大丈夫なんかじゃない。

 ただそれだけのことを、どうして伝えられないのだろう。

 

 なんて、なんて苦しい時間だった。家に帰って来てから、私は大泣きした。

 私がどれだけ苦しかったのか、絶対に誰にもわからない。

 左手が、爪の痕で真っ赤になっていた。苦しくて、でも頭を抱えることもできなくて、右の手の爪が知らないうちに左手を傷付けていた。その痕が、まだ消えない。

 写真にすら、写れなかった。せっかく行けたのに。もしかして、話せるチャンスだったかもしれないと、一瞬でも思ってしまった自分がバカみたいだった。それどころじゃ、なかったのに。

 私は、どうやっていたら正解だったのだろう。どうやって、どんな文で、どんな解決策を提示して、助けを呼べばよかったの?

 今年も、やっぱりダメだった。楽しんでいるみんなの横で、私は何を得たのだろう。

 場面緘黙症の私には、そういう緊急の時、自分の状況を伝えられる術を持っていなかった。パニック発作だったのかもしれない。でも、場面緘黙症が邪魔をして、公に苦しむことすらできなかった。だから、誰にも気付かれないままなのだ。

 傷跡が、しばらくひりひりと痛かった。

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