
H学園には、カウンセラーの先生が何人かいて、多くの生徒が定期的にカウンセリングを受けていた。
1年生の頃から私を担当してくださっていた矢代先生とは、すべて筆談でやり取りしていた。観ているドラマの話とか、SEKAI NO OWARIの話とか、多岐にわたる話題でコミュニケーションを取り続けていた。
そんな矢代先生と、夏休みにお話する約束があったのだ。そのためだけに、暑い中汗を垂らしながら、学校に行った。
その日はたまたま相談室が埋まっているとかで、誰もいない空き教室に通された。
実は、この日のために、練習してきたことがある。この日を目指して、育ててきた夢がある。
それは、「話せるんじゃないか」ということだった。
完全に家族以外の人と話せなくなってから約4年。いずれ話せるようになると漠然と思い込んで来たけれど、それは自分が行動しなければ変わらないのだと、実感し始めた頃だった。話したい。夏休みのカウンセリングを前に思った。意外と、突破口は近くにあったのかもしれないと。
最初に話そうと思ったのが担任の菊池先生でも、保健室の斎藤先生でもなく、カウンセラーの矢代先生だったのは、傷付くリスクが一番少ないと見積もったからだった。菊池先生たちを信用していないわけじゃないけれど、一番知識や経験があるのは、カウンセラーの先生だと思ったのだ。
お話の最初に、『話してみたい』と書いた私に、先生は少なからず驚いていたようだった。心臓がばくばくしていた。声を出すなんてもう何年もできていない。そもそも、私にできるのだろうか。いや、何度も家で練習したんだから大丈夫。でも学校では話せなくなるのに。――変わりたいんでしょう?
頭の中で、誰かの声がした。
変わりたいんでしょう?
そうだ。私は、変わりたい。この現状を、突き破りたい。その先にあるはずの、いつからか欠陥していた自分の声と、それを取り巻く幸せを手に入れたい。
「じゃあ、家に帰ったら何する?」
先生が、そう訊いた。
私は、息を吸って、覚悟を決めた。心臓が破裂しそうなくらい脈打っているのが伝わってくる。緊張が、最高潮に達していた。
「…………家に、帰って」
私の声がした。
私の、声がした。
「お昼寝して……ドラマを、観ます」
「そっか。……すごい。話せたね」
先生は感動したようにそう言った。私は頷いた。
「どうして、話そうと思ったの?」
私はその質問に上手く答えられなかったけれど、言いたかった言葉は、ちゃんと当時の日記に書いてあった。題は、『~もし、話せたら~』だった。
『話せないことは確かで、だからずっと苦しかった。でも、話さないことで、自分の中で何か大切なものを頑張って保ってきたの。何かはわからないけれど、それでも守らないといけないものがあった。
でも、ある時気が付いたんです。本当に、不意に。
私がずっと守ってきたものは、守っていたつもりだったものは、実はもうとっくの昔になくなっていて、今は何も残っていないんじゃないかということ。ずっと大切に抱えてきた宝箱の中身は、実際は空っぽだったんです。
それに先生や友達と話してみたいと思うことができたのも、すごく大きいことだったと思います。この人たちとなら、話しても怖くないかもしれない。むしろ、話してみたいと、そう思うことができました。そんな人たちと出逢えたことって、とんでもない幸福だと思っています。
もし私が話したところで、私の中も外も何一つ壊れないし、失うものなんて何もない。約8年もの月日をかけて、やっとそう思うことができました』
初めて声が出た日は、何だか不思議な気分に包まれていた。これから先、話せるようになる中で、得ていくものと同時に失っていくものもたくさんあると思った。それでも、私は大丈夫だろうかと。
話せたことは嬉しいけれど、すべてが好転したわけではない。話してしまうことで、余計自分のことが嫌いになったり、傷付いたり、傷付けてしまうこともあるだろう。そんなことが急に現実問題として浮き上がってきて、その日は意外と冷静だった。何も気にすることなく、一晩中バカみたいに踊り明かしてもいいほど、素晴らしい出来事だと思うのに。
革命的な出来事は、思っていたよりあっさりと過ぎて行った。もちろん、随分前から何度も練習をして、自分の声を録音して、気持ちを高めていったのは事実なのだけど。
でも、もしこの先に、声を出すことで傷付いたりすることがあっても、もう二度と口を噤まないことを約束する。
私の声が、やっと戻って来た。