
旅に出た。
それはそれは、大きな旅に。
人生で、初めて行く沖縄だった。
正直、あの日々を思い出してこれを書くのは、苦しい作業だった。無理をしすぎた私はあれから2年近く経った今でも、沖縄の思い出に苦しみ続けている。
さて、何から書こうか。色々なことがありすぎて、どこから書けばいいのかわからない。
まず、パニックになったら、その場で蹲ること。7月のスポーツ大会で初めてパニックを起こしてから、何度か小さな発作を繰り返していた。そして、ショルダーで肩からかけたスマホで、担任の菊池先生を呼ぶこと。旅に出る前に、そう約束をした。
時系列を追って、まず思い出すのは、沖縄に着いて初日に行った、ひめゆり資料館だった。
館内では、命が一瞬で吹き飛ぶ様子が、誰に遠慮するわけでなく流されていた。それを見て思ったのだ。実際に起きたのは、今よりたった数十年前を生きていた彼らが経験したのは、これなのだ。これが、事実なのだ。淡々と流れるナレーションと、画面の中の命が燃えていく様子にあまりにも温度差があって、でもそれが逆に現実であることを実感させられた。
私は、戦争を知らなかったのだ。何度もニュースを見たし、ドラマや舞台も観に行ったこともあるけれど、あれは故意に作られた箱庭みたいなものだ。本当の戦争はきっとあんなものじゃない。ましてや、私が沖縄の現地で、時を経て観たあれらでもない。小さな画面や、大きな会館に収まるようなものではないのだ。それだけは解った。
そして2日目のおきなわワールド。おきなわワールドは、沖縄の自然や文化に触れることができて、生徒と先生らは玉泉洞という洞窟のようなところに入って行った。緘動のせいで時間通りに歩けない私は玉泉洞に入ることなく残された。
残されたのは、同行していた初対面の看護師さんと、体調の悪い一人の生徒だけだった。本当は菊池先生も残る予定だったが、急遽予定が変わって、彼はみんなの列を後ろからついて行った。私は、本当は残って欲しかったけれど、その願いも空しく、菊池先生は玉泉洞の中へと消えて行った。
休憩している間、看護師さんから名前を尋ねられて、困った。そうだ。こうなることがわかっていたから、菊池先生にいて欲しかったのだ。私が上手く話せないことを知っている人に、代わりに弁明して欲しかった。だって私は「話せない」ことを「話す」ことすらできないのだから。
戻って来たみんなと合流してから見たエイサーショーも、苦手なものだった。私は、息ができなくなるような、太鼓の音が苦手だ。大きい音に、逃げられない状況。不安ばかりがよぎって、胸を押さえながらショーを見終えた。
午後に行った勝連城跡も、私は岩々を登ることができずに、体調が悪い生徒たちと麓の博物館で待っていた。そこには、本来この目で見えたはずの勝連城跡の頂上がプリントされた写真が飾ってあった。それを見て、一人思った。とても悲しかった。どうして、私だけ。どうして私だけ、偽物の勝連城跡を見ることしかできないの。
修学旅行は、場面緘黙症に振り回され、疎外感を覚えて、悲しい気分になることの連続だった。