
修学旅行3日目。3つのコースに分かれて、体験メニューをすることになっていた。
私は朝、菊池先生とも斎藤先生とも、響ちゃんたちとも別れることに大きな不安を抱いていた。菊池先生は体育教師のためマリンスポーツコースで、斎藤先生も養護教諭のためマリンスポーツコースで、響ちゃんたちもマリンスポーツコースだった。本来の私も、実はマリンスポーツに興味があって、緘動さえなければやってみたかった。場面緘黙症は、どこまでも私を縛り続けた。
春乃ちゃんとは一緒のコースだったけれど、彼女は体調があまりよくなかったようだし、彼女以外に親しいと言える友達はいなかった。
朝、どうしても不安で、ホテルの部屋の前の廊下で蹲っているところを、斎藤先生に見つけてもらった。彼女は、私を空き部屋に連れて行き、少し一人で休む時間をくれた。
私たちが選んだコースは、「バンダナ、シーサー作り体験」だった。不安がっていた私も、体調が悪そうだった春乃ちゃんも、何とかバンダナ染めも、シーサーの絵付け体験も終えることができた。あの時に作ったバンダナもシーサーも、今も私の部屋の隅に飾られている。
お昼ごはんを食べた「沖縄フルーツランド」の下の階で、お土産を購入した。私は、響ちゃんに手伝ってもらいながらなんとか、家族から要望のあった紅芋タルトを買うことができた。
午後に行った美ら海水族館では、響ちゃんと仲良しのクラスメイトたちと初めて話すことができた。「修学旅行復活計画」が活きたのだ。相変わらず普通に歩くことはできなかったけれど、時間がゆっくりと流れる水族館であることが救いだった。以前一緒に帰っていた時に春乃ちゃんが言っていた、「美ら海水族館で大きな水槽が見たい」という願望が叶ったのか、私は知らない。彼女は午前中こそ一緒に行動していたものの、午後からはもう姿が見えなくなっていた。
この辺りから、そろそろ私にも無理が見え始めて、自分の中のラインが、きっと限界を超えた。でも、ここまで行って、途中で帰れるわけがない。行ってしまった以上、帰れる時まで帰れないことは、覚悟していた。それでも、何よりそう言える相手が、どこにもいなかった。
4日目には、風邪が蔓延して、同じ飛行機で帰れない子もいた。突然マスクの着用が義務付けられる中で、私はマスクもしていたし、体調も悪くなかった。どこかで「食中毒」と聞いていたけれど、ほとんど食べられなかった食事が吉と出たのかもしれない。
食事は、毎回手が震えて、菊池先生に減らしてもらってもなお、満足にごはんが食べられなかった。おかげで、4日間で体重が3キロも落ちた。それでも、夢見ていたように、みんなと一緒に食べることができた。
帰り道の空港から最寄り駅までのバスの中で、私は声を押し殺しながら泣いていた。4日間も緘黙状態にあったから、気持ちがぐちゃぐちゃになっていた。少し離れた前列に、クラスメイトが乗っているのにも関わらず。
旅から帰って来た。
それはそれは、大きな旅から。
帰って来て、今私がここにいるのは、色々な人が助けてくれたからだ、と思った。この感謝を伝える術がわからないから、だからせめて自分の成長で周りに伝え続けるしかないのだと。どれだけ「ありがとう」と伝えても、自分が満足しないから。
もっとごはんを食べたかったし、玉泉洞や勝連城跡にも行きたかったし、お土産も買いたかったけれど、それでも失ったものより得たものの方が大きいはずだ。
今でこそ言える。楽しかったとか、疲れたとか、そんなことはよくわからないけれど。 最初は旅の達成感に浮かれて、幸せだったと錯覚していただけだったのかもしれない。
でも、幸せだった。
とても幸せな旅だった。