
ドーナツは、人を幸せにする食べ物だと思っていた。
高校2年生の冬だった。
定期テストが終わり、教室は達成感で包まれていた。そんな中、担任の菊池先生が「ご褒美に」と言って、ミスタードーナツのドーナツを、2箱分ほど買ってきたのだ。
糖分を欲していたのか、「ご褒美」に目が眩んだのか、教卓まで多くの生徒が駆けていく。そして次々と、「私これー」「先生、これもらっていいっすか?」と2箱分のドーナツが減っていく。
私はその間、何もできないまま彼らを眺めていた。
私の会食恐怖症は、修学旅行まで行ったけれど、まだ完全に治っていなかった。
結局私は、私以外のクラスメイトが楽しそうにドーナツを頬張る様子を外野から眺めるしかなかった。先生は、教室の隅にいる大人しい女の子たちには声をかけていたけれど、私までその声が届くことはなかった。きっと、配慮の一種だったのだろう。先生は、私が教室でごはんを食べられずに保健室に通っていたことや、修学旅行の会食の場面で私が異常に震えていたところを知っている。だからきっと、声をかければ私が困ると思い、放って置いてくれたのだ。
今思うと、あれは全員が最善の判断をしたまでだと思う。「食べろよ」と箱を差し出されても私は困るだけだし、「こころちゃん、ドーナツ食べないの?」とクラスメイトに訊かれても同様だ。私も、会食という恐怖に憑りつかれることなく逃げることができてよかった。
でも、帰り道一人で歩いていると、やっぱり悲しみに襲われた。これでよかったんだと言い聞かせても、寂しさが拭われない。
ドーナツは人を幸せにする食べ物だと、そう思っていた。
今まで食べて来たドーナツに付随する記憶たちをたどる。父が仕事終わりに買って来てくれるドーナツ。母と2人、イートインで食べたドーナツ。それらの後に、今日の記憶が並んでしまうことが悔しかった。私にとって、ドーナツは幸せの象徴とすら言えたのに。
高校2年生の冬。
私は、不幸なドーナツを経験した。