こころの声を綴って ー場面緘黙症と歩む日々ー

場面緘黙症を含めた不安障害とうつ病、SEKAI NO OWARIについてなどを書いていきます。

合唱

「もっと大きな声で」

「ほら、声出して!」

 そんな教師の声が響く教室で、私は萎縮したまま動けなかった。

 

 「話す」と「歌う」はまた違うものだ。

 

 数週間後にある、3年生の卒業式。そのために在校生たちが式の練習をする時間だった。

 唯一、私に声を強要しないでくれた場所。それがH学園だった。それなのに、何でそんなこと……。3年生の卒業式が重要な式典なのも、在校生がしっかりしないと、卒業生を堂々と祝えないのもわかる。

 ただ、悲しかった。

 

 私が歌ってきたのは、小学生時代の合唱コンクールと、中学生時代の部活と、体育祭だ。

 小学生時代の合唱コンクールは、舞台の端で、口パクでしのいだ。けれど中学生になると、そうもいかなかった。

 部活では、謎に応援歌を練習する時間があった。体育館全体に響くように、部員の前で一人ずつ歌う。私は声が小さすぎて、部員たちに失笑された。

 体育祭の練習では、当時1年生だった私たちに、3年生は非常に厳しくて、「1年だけで歌って」と要求されることもしばしばあった。先輩たちが、私たちの列を審査するように歩いて、声が小さい子を見つけると怒られた。

 「全体の声が小さい」と言われるたびに、自分のせいだと思っていた。

 合唱は、そんな記憶しかない。

 怒られるんじゃないか。笑われるんじゃないか。

 それは高校生になっても、癒えない傷と、抜けない恐怖だった。

 

「声を出せ、声を出せ、声を出せ」

 頭の中では、延々に今まで出会ったその言葉とシチュエーションが浮かんでいた。

 嫌だ、怖い、助けて。

 口を開くことができないまま、心の中で誰かに助けを求める。

 特に卒業式を象徴する式歌、「旅立ちの日に」はダメだった。

 前奏が始まった瞬間から、嫌な汗が滲み始める。心臓が早なり、呼吸すら苦しくなる。

 練習は、1回、2回じゃなかった。何度もやり直しをさせられるたびに、思い出が再生された。

 嫌だ、怖い、助けて。

 大サビに向かう途中、私はとうとう耐えきれなくなって、顔を覆った。

 それに気付いた担任の菊池先生が、養護教諭の斎藤先生を呼んでくださった。

 私は、生徒の中で一人だけ、途中退場した。

 

 周りを見渡せば、指揮を振っていたり、伴奏を任されていたりするクラスメイトがいる。彼らに合わせて、当たり前のように声を出して歌うことがきできる生徒たちがいる。

 それなのに私には……。

 

 ――私には、みんなの「普通」も、何かの「特別」もない。

 だからどこにいても、何をしていても居心地が悪いのだと、その時に気が付いた。

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