
緘動を初めて突破したのは、突然のことだった。
体育の授業では、1か月後のスポーツ大会に向けて、大繩飛びの練習が始まっていた。今年のスポーツ大会は例年のビーチバレーボール大会とは違い、本格的な「スポーツ大会」へと進化するらしかった。それを司っているのが、菊池先生だった。
体育に参加するようになって、約4か月。最初は整列だけだったのが、準備体操をするようになり、徐々に授業にも参加するようになっていた。
最初、私が大繩を飛ぶことに不安を感じていると気付いてくれた響ちゃんが、腕を組んで一緒に飛んでくれた。引っかかることなく、飛べた。
響ちゃんが一緒でも、飛べたという事実に調子に乗って、今度は一人でやってみると彼女に告げ、私は列に並んだ。
目の前で、一定のリズムで縄が回っている。
その時。
すっと、縄の中に飛び込んだ。そして――飛べたのだ。
その様子を見ていたクラスメイトたちから、拍手が起こった。彼らは、「すごい、すごいよ!」と自分のことのように喜んでくれた。
でも、不思議なことに、緘動が解けるのは大繩を飛ぶ一瞬だけで、飛び終えた後、列に並ぶ時にはもう緩慢な動きが戻って来ていた。そしてまた、大繩を飛ぶ。一瞬だけ、緘動が解ける。また動きが鈍くなる。その繰り返しだった。
今になって、あの時大繩を飛ぶことができたのには、2つの理由があると思っている。
小学生の頃、毎年クラス対抗の大繩大会があった。クラスの中心人物たちが、「全員を連続で飛ばせるようになるぞ!」と躍起になっていた。運動が苦手な子にとっては嫌いな行事だっただろうが、幸い私は大繩が得意だった。それは、幼稚園児の頃から大繩で遊んでいたことも影響していたのかもしれない。だから大繩を飛ぶことができた一つ目の理由はきっと、基礎の自信が行動へと繋げてくれたのだ。
そしてもう一つは、単純に、知って欲しかったから。
満足に話すことも、動くこともできない私だけれど、「本当はできるんだよ!」ということを、みんなに知って欲しかった。何もできない子じゃないんだと。
大繩を飛べたのは、本当に大きな進歩だった。
でもあの後、結局無理がたたって、動けなくなってしまった。蹲る私を、クラスメイトが見つけ、養護教諭の斎藤先生を呼んでくれた。
保健室の硬いベッドの上から、グラウンドが見える。運動部の子たちが部活を始める様子を眺めて、じれったい気持ちで思った。
ああ、もう。
動きたくて、たまらない。