
本が好きだ。
図書館も、本屋さんも、文章も、本という存在自体も。
でも、私はそこまで読書家なわけではない。「読書好き」として取り上げられている人たちは「一日に一冊は本を読みます」とか平気な顔で言っている。そんな超人みたいな人が存在するのに、私が「読書が趣味です」というのは、どこか身の程知らずな気がした。
私のことを「読書が好きなんだね」と分析する人は多い。それほど、私は本に固執しているように見えるのだろうか。ただ、正確に言えば、私が好きなのは「読書」ではなく、「本」なのだ。
元をたどれば、私が本を相棒のようにして歩くのには理由があった。
小学生の頃から、上手く友達が作れなくなって、満足に声を出すこともできなくなって、自分の殻に閉じこもることが増えた。休み時間になると、周りのクラスメイトたちは、鬼ごっこやドッヂボールに熱中していた。教室にいる大人しい女子たちも、何人かで集まって折り紙を折っている。クラスの中で一人なのは、どう見ても私だけだった。そんな様子を横目に見ながら、疎外感を覚えていた。いや、正確に言えば、疎外感を覚える前に、無意識に本を手にしていた。
どんな学校生活を送っていても、休み時間はやって来る。それはもちろん、「休み時間なんてなくていいから、早く家に帰りたい」と思っている私にも。
休み時間というのは、孤独を実感するだけの時間だった。クラスメイトたちが笑い合っている様子を眺めているだけでは、孤独に押し潰されそうだった。
だから、本を開いた。
真剣に読んでいることもあったし、何年も「読書が好きなフリ」をしてきたから、大切な本にも出会えた。文字の羅列だけでどこにでも行ける本は、美しい存在だと思う。
ただ。
私にとって本は、孤独を隠すための道具だった。
本を開いている間だけは、私は一人じゃなかったのだ。