こころの声を綴って ー場面緘黙症と歩む日々ー

場面緘黙症を含めた不安障害とうつ病、SEKAI NO OWARIについてなどを書いていきます。

苦しみが足りない

 苦しみが足りないのではないか、と思うことがある。

 私はもっと苦しむべきだ。まだまだ、治ってはいけない。

 高校を卒業するまでに治りたいと強く願う一方で、どこか苦しみ足りない気もしていた。卒業までそう長い時間がないことを理解し、その事実に焦っていながらも。

 それはまるで、「今治ったら危険だぞ」と場面緘黙症が最後のロックをかけているようだった。そこから出て行きたい私の気持ちが大きい分、彼らを鎮めるように、頑丈にロックがかけ直されるようだった。

 この苦しみが続く限り、私は苦しみ続けるべきだ。私は苦しみを歓迎し、痛みを実感し、自分自身を傷付けることで満足していた。

 こころの中でずっと、自傷行為をしていたみたいだった。

 パニックだって、決してわざとなんかじゃなかった。でも、自ら不安の方向に舵を切ったことがないかと訊かれれば、自信を持って頷くことができない。

 本当はわかっていた。私の苦しみは、時に作り物なんじゃないかって。

 

 私を苦しめたのは、悪者がいない闘いだった。

 悪者がいない闘いは、特定の「誰か」や「何か」を指差して、真っ向から怒ることができない。だから、特定の「誰か」を自分に置き換えたのかもしれない。

 わかっていた。治る瞬間というのは、「治ってもいい」と思える瞬間なのだと。その瞬間が訪れるまでは、私は決して「治らない」のだと。

 

 いつか、感じている痛みが本物だと、そう思えたらいい。

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