
高校2年生の夏に、初めて声が戻る前後、その葛藤を日記に綴っていた。
黙っているのは、半分自分の意思なんじゃないかと思うことがある。ずっと黙っていると、「声が出ない」という感覚は、そこまで明確なわけではない。だから信じられない。自分のことでさえも。
でも、声が戻って、色々な人との会話にチャレンジする中で思ったのは、「わざとじゃなかったんだ」ということだった。もう7年くらい、密かに抱いていた自分への疑問。話せないのか、話さないのか。自分のことが信じられなかった時もあったけれど、今ならわかる。変な言い方だけれど、私はちゃんと、「話せなかった」。おかげで今は、一文節ずつしか話せない。
場面緘黙症が治る過程で、私の中には色々な感情を持つ子たちが存在した。
1、変化を望む子
・変わるなら今がチャンスだと思っている。
・話せるようになったらやりたいことがたくさんある。
・あと一年半の間に変わらないといけないので、少し焦っている。
2、呪いをかける子
・まだ苦しみが足りないと思っている。
・どの角度から見ても「大変だった」時間を手に入れたい→将来の役に立つと思っている。
・いつか治るだろうと漠然と思い込んでいる。
3、変化を怖がる子
・話したら、みんなはどう思うだろうかと周りの反応を気にしている。
・学校での立場や振る舞いが変わることになるのが怖い。
・少し話せるようになった自分を本当の自分だと思われて嫌われてしまうのではないかと思っている。
4、病気に依存している子
・病気が治れば、誰も優しくしてくれないと思っている。
・自由になっても手に入らなかったものがあれば、それは自分の責任だと思い知るのが怖い。
・元々の性格で、普通の社会人として生きていくことなどできないと思っている。
・今の気持ちを忘れてしまうのが怖い。
5、追い立てる子
・常に「時間がない」と焦っている。
・テストでも学校生活でも「できるだけ良い印象(成績)を残さなければ」と自分を追い立てる。
・緊張して動けない時にもたびたび登場→ますます動けなくなる。
・将来に対して悲観的。
以上のような、多岐にわたる思いを持った子たちを共存させ、どう生きていくのかを選ぶのは、本当に大変なことだった。
ただ、共通しているのは、唯一、私の青春時代を微かに彩ることが可能な時間は、もうあまり残っていないと、わかっていること。