
私には、限界の合図の言葉がある。
それは、うつ病になる前、成績や進路、病気のことで悩んでいた時によく口にしていた言葉だ。当時は、それが限界の合図なんて知らなかったけれど。
でも今ならわかる。それをつい口にしている時はもう限界なのだと。
私の限界の合言葉は、「頑張れ」だった。
まるで自分に言い聞かせるように、自分を鼓舞するように、自分に鞭を打つように、苦しいと感じるたびに口にしていた。そうでもしないと、立っていることすらできなかった。普通の生活を送ることなんて、とてもできなかった。
朝、酷い倦怠感に襲われて、玄関に座り込んでいた。スマホの時計を見て、自分の足を叩く。もう学校に行かないといけない時間だ。受験に使われる成績がつけられる、最後のテストの中日だった。
「頑張れ、頑張れ」
誰に聞かせるでもなく、呟くように言う。
どうにかして行かないと、1年生からの努力が水の泡になる。最後のテストに点数がつかないなんて。頭ではわかっているのに、心と体が鉛のように重かった。まるで鉄の塊を引きずって駅まで歩き、電車に乗り、テストを何時間も受けないといけないかのような気分だった。
無理だ。
どんなに危機感を覚えても、焦りを感じても、体が動かない。それは心と体からの悲鳴ではなく、単なる努力不足だと思い込んでいた。
無理だ、行けない。
無気力に倒れ込む体とは反対に、頭の中では自身を責め立てる声で満ち溢れていた。
学校からの帰り道でも、何度もこみ上げてくる涙を呑み込みながら心の中で「頑張れ」と呟いていた。こんな気持ちになってしまうのはきっと異常じゃない、ちょっと疲れただけだと言い聞かせながら。
それらの「頑張れ」は、無意識的に自分のことを応援するために使っていた言葉だと思っていた。けれどそれが、逆に自分を死にたくなるまで追い詰めることになるとは、思ってもいなかったのだ。