自ら死を選ぶということは、悪いことじゃなくても、良くないことだというのはわかっている。家族や友人を悲しみの底に突き落とし、一生癒えない傷を与える。それは自分の人生が終わっても、私が永遠に背負い続ける十字架だ。家族や友人を、心から大切に想っている。時に自分以上に。
だから、死なない努力をした。
白血病と闘い、16歳で亡くなった少女。脳腫瘍で、全盲になってしまった子供。障害を持ちながらも、夢を持って前向きに生きようとする人々。戦争によって、深い恐怖や苦しみの中、亡くなっていった人々。ニュースやドキュメンタリー、映画を通して、たくさんの死と隣り合わせの命を観た。命の重さを知るために。この世に生きていることが、どれほど幸せなことなのか、自分に知らしめるために。
一人で電車に乗る時は、一号車の一番端で待っていた。物凄いスピードでホームに舞い込んで来る電車に、吸い込まれることがないように。
全ては私が、簡単に死なないように。
私は薄っぺらい涙を流しながら、彼らの生きざまを見ていた。人身事故で電車が遅延すれば、どこかで誰かが亡くなったのだと、一つ世界が欠けた感覚に襲われた。自分以外の命にはこんなにも執着するのに、私はどこまでも、自分の命だけを軽視していた。
多くの命を見て思うのは、綺麗事なんて言葉が要らないくらいに、命は尊いということだった。人は皆、誰かから生まれ、たくさんの人の力を借りて生きてく。生きていこうと、努力する。
そして、同時に思った。命は尊い。だから、自分じゃダメだったんだと。こんな尊い命を全うできるような人間じゃない。この世に生を享け、一人の人生をまともに生きられるほど丈夫じゃなかった。健康体に生まれた私よりも、病と闘う人々の方が断然強く見えた。
死にたい時に見る命の尊さは、ある意味逆効果だった。
生きる努力ができない私にできるのは、最低限、死なない努力だけだった。