こころの声を綴って ー場面緘黙症と歩む日々ー

場面緘黙症を含めた不安障害とうつ病、SEKAI NO OWARIについてなどを書いていきます。

最後の文化祭

 文化祭は金曜日と土曜日の2日間にかけて行われる。

 金曜日は、午前中だけ。お客さんも保護者しかいない、割と小規模なお祭りだ。

 私は何とか両親の力も借りて、車で学校まで行った。朝からやって来た私に、先生は驚いたようだったけれど、この後どんなに寝込むことになっても、どうしても行きたかったのだ。

 そうは言っても、文化祭は普段と学校の雰囲気がまるで違う。私は廊下の人混みや、賑やかな環境に怖気づいて、シフトが入っていない時間はトイレにこもって泣いていた。一日目終了を知らせるチャイムが響き渡った時、安堵のため息が漏れた。

 しかし問題は土曜日。学校は解放され、保護者はもちろん、中学生や卒業生、地域の方々までやって来る。

 しかも、「車で送迎する」と約束してくれていた父は、昨夜泥酔したせいで、朝とても運転できる状態ではなかった。母は、運転することができない。やむなく私は、慌てて母と共に電車に乗るしかなかった。

 遅刻して着いた学校で、クラスメイトたちとお店を回り、写真を撮り、食べ物を買って食べることもできた。

 私たちのクラスは「男女逆転メイドカフェ」をやっていて、男子がメイド服を着て接客し、女子はズボンを履いて調理をする。あまりにもてんてこ舞いの調理場で私も手伝っていたけれど、途中から絶えず入って来るお客さんや、余裕を失った先生を見て、視界がぐらぐらと揺らいだ。でも、こんなところで倒れたら、とんでもない迷惑だ。私は最後の力を振り絞って、ビニール手袋を捨て、誰にも何も言わずに、頭を抱えたままお手洗いに駆けた。私の感覚的に「駆けた」と言っても、きっと周りからは歩いていたようにしか見えないだろうけれど。そこでしばらく座り込んで、何とか呼吸を整えた。頭に巻いたバンダナを雑に外し、マスクを取る。お手洗いの鏡に映った自分の顔が、暗く、疲れ果てていた。

 その後すぐに母に助けを求めようとしたけれど、LINEを見るとちょうど数分前に「お母さんもう帰るね」という着信を受けていた。一瞬絶望が胸を掠めたけれど、まだ間に合うかもしれないと思い、「もう無理かも」と連絡した。学校を出たばかりだった母は、わざわざお手洗いまで私を迎えに来てくれ、校舎の裏で座り込んで薬を飲んだ後、保健室で数時間休ませてもらった。

 心配してくれる大人たちに「大丈夫」と言い切って、教室に戻った。本当はきっと大丈夫なんかじゃなかったけれど、そう言い切らないと、一生ここに後悔を残すことを知っていた。教室には同様、突然いなくなった私を心配してくれていたクラスメイトたちがいて、迷惑かけたことを詫びて回った。彼らは私のことをよく知ってくれているのもあり、「全然大丈夫だよ」と笑ってくれた。最後に集合写真に写って、文化祭は何とか閉会した。

 響ちゃんたちの計らいもあって、憧れの打ち上げにも行くことができた。流石に2次会のカラオケは遠慮したけれど、夢にまで見た友達との会食。そこで何かがあったわけじゃないけれど、ただ彼らと一緒にいられたことが、本当に嬉しかった。

 父には朝の償いとして、会食の最後まで車で待機していてくれた。それに乗り、2次会へと向かう彼らと別れた。

 車の中で、息を吐きながら思う。

 明日から、この2日間の無理がたたり、きっと地獄のような苦しみの日々が始まるだろう。

 でも、行けたことに後悔なんて一ミリもなかった。

 ただ「行きたい」という、気合だけで乗り切った2日間だった。

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