こころの声を綴って ー場面緘黙症と歩む日々ー

場面緘黙症を含めた不安障害とうつ病、SEKAI NO OWARIについてなどを書いていきます。

消化不良の思い出

 報われなかった時間を、今でもよく覚えている。

 それは、起きた出来事をそのまま丸呑みして、消化不良を起こしてしまったようだった。

 修学旅行、体験学習、スポーツ大会、文化祭、卒業遠足。

 少しずつ場面緘黙症を克服した私は着ていた鎧を脱ぐように、治っていけば治っていくほど今度は傷付きやすくなっていた。

 特に我慢をしすぎた修学旅行の3泊4日間は、私の中で消化されないまま、今でも吐き気を催す。帰って来てすぐ、「幸せな旅だった」と浮かれていた私は、もうどこにもいなかった。

 スーパーの沖縄フェア。旅土産のちんすこう。沖縄特集の番組。歌。

 すべてがダメになっていた。それらに触れると、過去の気持ち悪さがぶくぶくと湧き上がって、フラッシュバックが起きるようになっていた。

 

 とてつもなく怖かった気持ちが、まだ胸の中に残っている気分だった。自分一人で抱えるには重すぎて、思い出の消化不良を起こして、記憶が改ざんされてしまう。私が覚えた恐怖や後悔は、それほどのものだった。

 一見無事に終わったとしても、何が正解なのかはよくわからない。パニックになって、抱えていた恐怖を外に出せた方が楽だったのだろうか。一人で不安と闘って、その過程を誰にも知られることがないほど、損な結果はないのかもしれない。怖かった気持ちは、楽しい気持ちと同様に、誰かと共有できなければ、自分の中に持て余してしまう。そんな単純なことに、やっと気が付いた。だからこそ、怖い気持ちを自分以外のどこかに置くために、私は無意識的にこうして言葉を紡いでいたのだろうと。

 何が正解だったのかは、わからない。終わった過去を振り返るだけ無駄だと言われても、私の中には自然に収まることのない感情が渦巻いているのだ。ある過去を消化できなければ、それは今を生きることができないということ。今を生きることができなければ、それは未来を生きることもできないということだ。終わった過去から今、未来は、地続きで繋がっている。私が過去に囚われるのは、その過去が「今」だった時、誰とも感情を共有することができなかったからなのだ。

 悔しさや苦しみに塗れた、心の中で行き場を失った過去を少しずつ洗い返してみよう。思い出に執着する嫌悪感は後から自分が作り出したもので、実際は感じているより遥かに綺麗なものであったと、そう思える日が来るといい。

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