
死にたい気持ちに初めて出会ったのは、小学1年生の頃だった。親友だったはずの亜美ちゃんからの、いじめとは誰も言ってくれなかったアレを受けて、誰にも言えない苦しみに耐え兼ねていた時。当時の日記に、『もう死にたいよ』と書かれていた。今読んでも、幼い自分が吐露した残酷な言葉に心が痛む。
亜美ちゃんとの問題が解決すると、次第にその気持ちは収束していったけれど、小学5年生頃に、また死にたい気持ちと再会した。私は、自分の中に現実が収まり切れなくなると、警報を鳴らすように「死にたい」と感じるシステムができているらしい。
中学時代は「死にたい」に孤独も重なって、毎日家で泣いていた。こんな自分、存在しない方がいい。
高校生になり、周囲の人々に恵まれ始めると、また「死にたい」気持ちは衰退したけれど、厄介なことに、高校3年生の夏、うつ病を発症してしまった。
うつ病の「死にたい」は、今までのものとは次元が違った。どうやっても、抗えない苦しみ。死が光り輝いて見えて、そこに行きたくて仕方なかった。生きていくためには、死ぬしか方法がないと思った。
こうして、私の中にあるのは、慢性的な「死にたい」だった。
きっと、これからも現実がキャパシティーを超えると、「死にたい」がやって来るだろう。けれど今の私は「死にたい」と感じる時は、「死にたい」と感じるほど頑張った時であることを知っている。そんな綺麗事だけで切り抜けられるほど彼は単純な奴じゃないけれど、「死にたい」気持ちは決して、悪いだけのものではない。