
「問題児」という言葉を初めて知ったのはいつだろう。
少なくとも、私は問題児だった。病気という問題を抱えた子供。特別な支援が必要な子供。小学生の時からそうだった。知らず知らずのうちに背中に貼られた「問題児」というレッテルは、自分の力では剥がすことができない。それをつけっぱなしで、上手く隠すこともできずに何年も生きてきた。
問題児というと、先生たちが怒ったり、何度注意したりしても問題行動をやめることができない子をイメージするかもしれない。でも私は、いわばその逆だった。先生方からは慎重に扱うように、気を遣わせてしまった自覚がずっとあった。
だから申し訳なかったと、高校を卒業する時に担任の菊池先生にお手紙を書いた。迷惑をたくさんかけた。でも、そんな私のことも一人の生徒として接してくださって、本当に嬉しかったのだと。
高校を卒業して1か月ちょっと。高校時代の担任だった菊池先生とショートメッセージでやり取りをしていた。
内容は、私が大学で多子家庭の奨学金をもらうため、高校時代の成績を表す調査書を先生に依頼したことから始まった雑談だった。
菊池先生が思い出したかのように言う。
『手紙、ありがとう!泣かなかったけど泣きそうになった』
ああ、よかった。『家で封筒のまんま飾ってあるよ』という文字を見ると、書いてよかったと思う。思いを伝えて、伝わって、よかった。
けれどその後、先生から送られてきたメッセージに背筋が伸びた。
『おねぇさん、2点間違えてまして。1個目が、生徒→生従 になってました。笑』
「あ」と思う。何度も確認したはずなのに、つい癖で、漢字を間違えてしまった。恥ずかしさで顔が赤くなる。その手紙が今も、これからも先生の手元に置かれると思うと、一瞬ひったくって書き直したい気持ちに駆られる。
胸の中に恥ずかしさが広がっていっている時、次の着信を受け取った。
『2個目が』
どくんと心臓が跳ねる。また、何か間違えたのだろうか。
ああ、もう私ったら。何度も確認したはずなのに!
けれど送られてきた文章は、想定外のものだった。
『別に問題児と思ったことない』
胸に広がっていっていた恥ずかしさが、急にすーっと引いて行く。
「問題児と思ったことない」
初めに思ったのは、「本当に?」ということだった。だって、あんなに迷惑かけたのに。先生の懐がどれだけ広くても、あれは確実に迷惑だったはずだ。お世辞でそう言ってくださっているのかとも思ったけれど、私が2年間同じ教室で過ごしてきた限り知っている先生は、超がつくほど正直だ。
そして、先生ははっきりと断言した。
『問題児じゃないよ』
その瞬間に、無意識に思い込んできた「問題児」というレッテルが剥がれた。