
多子家庭の奨学金をもらうため、高校まで成績の記載された調査書を受け取りに行った。
つい1か月近く前までいたはずの高校に、私服でメイクをして行くのは新鮮だった。菊池先生や斎藤先生に会い、近況について話す。大学が負担になっていることも伝えられたけれど、私の中にある切迫感はつい隠してしまった。
無事に調査書を受け取り、学校を出た途端、気が抜けたようにその場に座り込んでしまった。ああ、死にたい。H学園を出ると目の前には、大通りが広がっている。ひっきりなしに行き交う車。あの大きなトラックに撥ねられたら死ねるかな。
すぐ後ろには出て来たばかりの学校がある。こんなに苦しいのなら、もう一度戻って助けを求めればいい。頭ではわかっているのに、動けなかった。大学生にもなって、まだ高校に迷惑なんてかけられない。それでもどこかで、学校から誰か先生が出て来て、私を助けてくれることを祈っていた。
高校生の頃から、こうして帰り道に体調が悪くなって、動けなくなることはしばしばあった。ほとんどの場合は通学路の途中にある大きな公園のベンチで薬を飲み休んで、母に電話をかけているうちに何とか回復していた。けれどそこまでたどり着かない日は、大雨の中1時間近く同じ場所に突っ立っていた私を見て、向かいの会社の社員さんが声をかけてくださったこともあった。その方には、後日母と共に手土産を持ってお礼に訪れた。動けなくなっているところにたまたま高校の先生が遭遇して、養護教諭の斎藤先生が迎えに来てくださった時もあった。
「大丈夫ですか?体調悪いですか?」
ふと声がして、顔を上げると、兄くらいの歳の男性が私を覗き込んでいた。
「あ、はい。ちょっと……」
「ちょっと待っててくださいね」
彼は辺りをキョロキョロと見回して、どこかへ走って行った。
「どうぞ」
私の元に帰って来た彼の手には、ペットボトルが握られていた。
私は彼の手からペットボトルを受け取り、慌てて言った。
「ありがとうございます。お金、払います」
「いや、いいですよ。じゃあ」
青年はそう言って、立ち上がった私を見届けてから颯爽と去って行った。
その後、高校の最寄り駅まで歩けたものの、また駅で動けなくなった。学校を出てから、2時間以上が経過していた。私は母に「動けない」と泣く泣く電話をし、途中の駅まで迎えに来てもらった。どうやって帰ったのか、覚えていない。
その日からしばらく、闇を彷徨っていた。何もできない日が続いた。何もできないどころか、一日中苦しむ日。当然学校にも行けず、数日間お風呂にも入れなかった。
頭の中にはずっと、いつまでも、「戻ればよかった」という後悔でいっぱいだった。大学生なんだからと見栄なんて張らないで、素直に助けを求めればよかった。そうしたら、こんなに苦しまずにすんだはずなのに。