
SNSには、同じような病気と闘っている同志たちがたくさんいる。
彼らは現実の苦しみをネット上で吐き出していた。その多くが、『泡のように消えてなくなりたい』というものだった。
彼らの思考や絶望に共感していた私だったけれど、それだけは共感できなかった。
私は、消えたいんじゃない。死にたいのだ。
消えるとはつまり、私の存在ごと、この世から消し去るということ。元から、私が生まれなかった世界になるということ。
勿体ない、と思う。私はいつでも、評価されることを望んでいた。できれば大袈裟に。なんて自己中な性格だろうと自分でも呆れるが、死んだ後も、人々の記憶の中に生きていたかった。
それに、私の過去は、誰にも否定されたくなかった。嫌なことだってたくさんあった。苦手な人だっていた。でも、幸せな瞬間だってたくさんあったのだ。大好きな人たちだって数え切れないほどいるのだ。その過去をなかったことにはしたくなかった。いくら結末が悲劇でも、私がこの世に生まれて、たくさんの人たちに出逢って、抱いた感情や失ったものは、全て無駄ではなかったと思っているから。生まれてきてよかったと、本当にそう思っているから。
何もしていないはずなのに、罪の意識もあった。うつ病の症状に、罪業意識というものがあるらしい。泡のように消えてなくなりたいなんて、わがままじゃないか。私はきちんと壮絶な痛みを受けてから消えるべきだ。そう思った。
死ななきゃ、死ななきゃと、義務のように感じていた。私なんかが、ここにいたらいけない。
自分への恨みや憎しみを、痛みとして与えないと、気が済まなかったのだ。