
こんにちは。架空のラジオ番組、「救われた音の記憶」のお時間です。
このコーナーでは、毎回一つ、私が様々な病と闘う中で出会い、救われた楽曲などを紹介します。
今回のゲストは、SEKAI NO OWARIの「深海魚」。
19歳の私から、お便りが届いています。
オウムガイという生き物を知っていますか?
オウムガイは遥か昔、アンモナイトと同じ海で生きていました。しかし、氷河期にアンモナイトは絶滅します。一方同時期に、オウムガイはアンモナイトに負け、深海に逃げました。そして彼らは氷河期を乗り越え、その子孫は今現在でも海底で呼吸をしています。
彼らは、「逃げたから生き残った」のです。
私がこの話を知ったのは、SEKAI NO OWARIのFukaseさんが語っていたことがあったからです。彼はオウムガイに自身を投影するように、よくその話をしていました。
「深海魚」を聴くと、その話を思い出します。
うつ病の状態で大学に通うのは、それはそれは大変なことでした。
うつ病に、さらに場面緘黙症などの不安障害も重なって、その苦しみが私の元に降りて来ました。
教室に入るたびに、深く息を吸って、覚悟を決めました。これから90分間、動くことができない。当てられるかもしれない。知り合いすらいない。そうしたリスクをすべて見つめ、飲み込むようにしてようやく、教室に入ることができました。
入学してすぐ、中学生の時にも感じた、「ここでは生きていけない」という予感が胸に引っかかりました。それは、今でも私の心の中にあります。
大学からの帰り道、救いを求めるようにイヤホンを鞄から取り出しました。ここから流れる音楽だけが、私の味方だ。一人ぼっちで泣きそうな気持をぐっと堪えて、目を瞑って耳を澄ませました。
『自分らしくあれと言うなら 選択肢をよこせよ
逃げるにも 勇気はいるんだ』
自分で選んできたはずの今には、私が安心して呼吸できる場所はないように思えました。ここから逃げ出せば、私は「脱落者」というレッテルを貼られるだろうけれど、それは絶対に怠けや甘えなんかじゃありませんでした。
『今日も生き抜いた その連続に誇りを持て』
生きることすら当たり前じゃなくなったあの日々に、そう言ってくれる音があるのは心強いことでした。一日を終えるたびに、また一つ終わりに近付く。そんな日々を数え切れないほど繰り返して、前期を終えた日のことを、今でも覚えています。
『生きていけないと思う場所に しがみついて生きてた日より 暗い場所はどこにもない それだけは確かなんだ
生きる場所は ここじゃないと 静かに沈んでくんだ』
沈んでいいのだと、思えました。ここに必死でしがみついて生きなくても、流れに身を任せるまま、沈んでいいのだと。
後期から私は、休学という決断をしました。
休学している間、何度も「これでよかったのか」という思いに駆られましたが、この曲のおかげで、「これは生きていくための選択だったのだ」と思えるようになりました。