
まずうつがやって来る時は、背後から。何かの拍子にすっと背後にやって来て、大きな手で私の顔を覆う。そうするともう、普通の世界は見えなかった。うつが創り出した幻像。ここは出口のないトンネルで、そこに死ぬまで閉じ込められているような感覚に陥る。だから思うのだ。こんな希望のない世界で生きるくらいなら、もう死んでしまいたいと。気分が酷く悪く、重いのは、うつを背負っているからだ。
そして不安は、胸から生えて来る。心臓から不安が芽生えると、そこから体中に広がっていく。指先が震え出すのは、その不安が体の隅まで届いたことを表す。だから胸を押さえている時は、私は不安に駆られている。
パニックは、それに似ていた。急速に体中に不安が回り、その速さに対応できず、消化しきれなかった分が身体の症状へと繋がる。胸はいつまでもばくばくして、過呼吸になって、手足が震え、痺れ出す。
ただし場面緘黙の場合は、胸から生えて来るのではなく、イメージはスイッチだ。社交的な場面に遭遇した時、私の場合は登校中に同じ制服の人を見かけた時、無意識にバチンと強力なスイッチが押される。緘黙の間は、まるで自由に身動きのできない鎧を身に纏っているようだった。そこからは、何の声も届かないし、壊れたロボットのように、ゆっくりとしか動けない。最初はそうして急にすべての動きが鈍くなるのに、最後はスイッチが押されるのではなく、雪が溶けるように徐々にスイッチが消えていった。
どちらの方が苦しいかをあえて言うのであれば、私はうつの方が何倍も苦しい。あの閉塞的な、仲間やすべての歓びを失った世界を何度拒んだか。それは客観的に見れば虚像であっても、うつの魔法がかかっている時間内は間違いなく現像だった。「地獄のようだ、苦しすぎる」と嘆いたって、それでも毅然な顔をして、彼は私の背後に立つのだ。まるで私がこんな気分になることが、義務だとでも思っているように。
うつは姿の見えない黒づくめの生物であり、逆に不安は成長の早い植物のようだった。