
私はテレビでなまはげや獅子舞に怯え、泣いている子どもを見ると、同情を通り越して怒りすら覚える。
それをエンタメとして、微笑ましく眺めている大人たちに対してだ。
私は子どもの頃、年末年始を軽井沢にある祖父母の家で過ごしていた。お正月になると、必ず地域の子どもたちが獅子舞に扮して家までやって来た。
彼らが来る前から、私はリビングのソファの影に隠れて震えていた。でも両親も祖父母も、獅子舞に会わないことを許してくれなかった。
「縁起がいいんだよ」と言われる。幼い私は、「知るか」と思った。あの恐ろしい生き物に噛まれて縁起がよくなるくらいなら、不幸になった方がましだ。
それでも、子どもの人権はないも同然だった。どれだけ本気で怖がっても、拒否しても、大人たちは笑うだけだ。
幼稚園の頃、2月の節分になると、いつも遊んでいる公園に鬼がやって来た。
中身の大人が誰だったのか、今になっても知らない。先生たちはただ、「豆を投げて鬼をやっつけてね」と言うだけで、助けてはくれない。
般若のような顔をした大きな鬼が、私を抱き上げる。
殺される!そう思った。
怖くて悲鳴が出た。必死に豆を投げた。
鬼の手から離れると、公園の奥に隠れようとひたすら走った。でも、公園の真ん中には先生たちが立っていて、奥へ行こうとする園児たちを捕まえ、必ず鬼のいる方へ戻した。心から「殺される」と怯え、命懸けで訴えているのに、大人たちは優美な笑みを崩さない。
そうした記憶が引っかかり、私は今でも泣いている子どもが映るテレビを観ることができない。「こんなの、トラウマになるよ」と、怒ったような声が出てしまう。
私は自分で言うのも何だが、穏やかなタイプの人間だと思う。
でも、なまはげや獅子舞だけは、不快感を隠すことができない。
子どもは、何も考えていない生き物なんかじゃない。確かに、成長するにつれて忘れていく人も多いのかもしれない。でも、時に幼い頃の怖い記憶をずっと忘れられない人もいる。
信頼していたはずの大人たちが、自分を助けてくれなかった。
それは間違いなく、私がこの世に絶望した最初の記憶だった。