
私は物心ついた時から、兄のことは「お兄ちゃん」と呼んでいた。両親にそう躾けられたからだ。だから何の疑いも躊躇いもなく、「お兄ちゃん」のことは「お兄ちゃん」と呼んでいた。
「兄貴」という新しい単語を我が家に持ってきたのは、妹の蘭だった。どこでその単語を覚えて来たのかはわからない。きっと最初はおふざけだった。でも、面白がって私たちは「兄貴」と呼ぶことが増えた。
その辺りだろうか。ふと思い出したように、私が「お兄ちゃん」と呼ぶと、彼は「え」と驚いたような顔をした。そして言ったのだ。
「お兄ちゃんやめて」
「え、何で?」
「違和感だから」
「違和感って。今までずっとそう呼んできたじゃん」
「うん。でも、違和感だから」
違和感だから。ただそれだけを理由に、「お兄ちゃん禁止令」が出された。
「私、きっと『兄貴』って呼んでるの知られたら、お友達にびっくりされると思う。『キャラじゃないね』って言われちゃうよ」
そう言っても「兄貴」は、「お兄ちゃん」を許してくれなかった。なんか、ヤンキー家族みたいじゃないかな。でもそこまで言うなら……と私も諦めたけれど、なぜ彼がそこまで「兄貴」にこだわるのか、未だに理解できていない。どうやら、ありきたりな呼び方が気に入らないらしい。ふうん、そういうものなのか。優しい人なのに、変なところ頑固だな。
私は幼い頃から妹にも弟にも「お姉ちゃん」ではなく、「こころちゃん」と呼ばれていたので、今でも「お姉ちゃん」に憧れがある。けれど、いくら彼らに「ねえ、お姉ちゃんって呼んでよ」と頼んでも、「お姉ちゃん」と一回言うだけで、もう次の日には「こころちゃん」に戻っている。その時も私が折れた。
兄は来年度から社会人になり、この家を出て行く。でも、「お兄ちゃん禁止令」を取り下げてくれる気配はなさそうだ。
仕方なく思う。
「兄貴」、これからもよろしくね。