こころの声を綴って ー場面緘黙症と歩む日々ー

場面緘黙症を含めた不安障害とうつ病、SEKAI NO OWARIについてなどを書いていきます。

コンプレックス

 私には、コンプレックスがたくさんあった。

 例えば、一重の瞼。癖毛。広い額。太い指。高い身長。その割に短い脚。ほくろの数。足の形。太い骨格。

 そんなたくさんのコンプレックスの中で、私が一番嫌いだったのは、自分が書くこの文章だった。

 大した読書家なわけでもないのに、偉そうにひとりでに成長したこの文章力は、なかなか好きになることができなかった。小学生の時からそうだ。小学校を卒業する時、卒業文集を書かされた。そこに並んだ私の等身大の思いを綴った偉そうな文章は、担任の先生にいい顔はされなかった。私に直接何か言ってくることはなかったけれど、母を学校に呼び出して、書き直しを命じられた。結局母はそう言う先生に怒ってくれて、書き直すことはなかったのだけれど。

 作文を書くたびに、必ず赤ペンで文章に線が引かれていた。それが賞賛を表すものだとしても、私はそれを素直に受け取ることができなかった。私の書く文章は、みんなのものと違う。誰も傷付けず、楽しいことだけを綴って、当たり障りのない文章がどうしても書けない。原稿用紙に並んだ私の文章は、いつでもどこかに闇が潜んでいて、読んだ人を幸せにできるものではなかった。だから高校生くらいになるまで、私は自分に特別なものなんてないと本気で思っていた。コンプレックスの文章なんて、できれば誰の目にも触れて欲しくなかった。

 でも高校生になって、書いた作文を否定する人はもういなかった。「才能がある」「すごくいい」と、先生からもクラスメイトからも言ってもらえた。最初こそ恥ずかしさに気後れしていた私だったけれど、彼らの真っ直ぐな瞳を見れば、それが嘘じゃないことはすぐにわかった。少しずつ自分の文章を発信するようになると、ライターの母からも褒めてもらえることが増えた。

 今は、自分の才能は、自分に与えられた特別なものは、この文章力だと言える。もちろん、私よりずっと優れた文章力を持つ人は、この世界に何人もいるだろうけれど、それでも私は、自分にしか紡げない文章があると信じている。でも、そう気付くまでに、何年もの時間を費やした。

 今言えることは、コンプレックスと強みは、紙一重だということ。

 私は自分の文章力を愛せるようになってから、一重の瞼も、癖毛も、高い身長も、だんだん好きになっていった。

 「普通じゃない」と思うか、「私だけの特別」と思うかは、考え方次第だということを、文章が教えてくれた。