
対人恐怖。赤面恐怖。スピーチ恐怖。電話恐怖。視線恐怖。会食恐怖。振戦恐怖。書痙。子供の頃から、本当にたくさんの恐怖症を抱え、一つずつ乗り越えてきた。未だ乗り越え切れていない恐怖症もある。
今思うのは、恐怖症というものは、周囲の人間の理解にかかっているということ。
様々な恐怖症を10年ほど抱え、大人になった今、私は自分のことがようやくわかってきたし、周囲の人間もよく理解してくれている。けれど最初からそうだったわけじゃなかった。
恐怖症は、目に見えない。
だから、簡単には信じてもらえない。自分が抱えている不安度が数字になって見えたらどれほどいいかと、何度思ったかわからない。
それでも、少しずつ自分の苦しみを言葉で伝え、病名がついて、配慮のある高校で居場所を見つけた。
子供の頃、私が欲しかったのは、「病名」だった。
病院は苦手で、怖い場所ではあったけれど、その勇気を捧げてもなお、「病名」が欲しかった。あの頃の私にとって病名とはつまり、「普通ではないことを許されるための称号」だったのだ。その称号がもらえれば、周囲の理解が進むと思っていたし、実際そうだった。
病名がついてからは、周囲の対応が少しずつ優しくなった。それは病気であることが判明したからというよりも、病名がわかったことで対応方法が判明したからのようだった。
自分自身も、謎に包まれていた自分のことを知るきっかけができた。ああ、そうか。病気だから、だから私はできなかったんだ。そう思うことで、自分の中にあった罪悪感が薄れて行った。
それでも、病名がついたからといって、病気がよくなるわけではなかった。高校に進学しても、私は多くの恐怖症を抱えて生活していた。人の目すら見られないし、音読もできないし、教室でお弁当も食べられない。担任の先生との二者面談では、筆談でやり取りをしたけれど、緊張のあまり手がブルブルと震えて、簡単な漢字すら間違えてしまった。そんな自分を恥じ、貶し、泣いたこともたくさんあった。
今、大学生になった私は、ほとんどの恐怖症を克服した。
最初は、先生と一対一でお話しをして、一文節ずつ話せるようになった。それから、仲良くしてくれたクラスメイトを引き入れて、少しずつ話せる人の輪を広げていった。教室で「おはよう」と言えるようになってから、音読にも挑戦した。勇気を振り絞って、鏡で何度も自分の顔を確認して、インターフォンにも出られるようになった。
闘って、壊して、仲良くなって、乗り越えて、たどり着いた「今」は、とても自由な世界だった。数年前の私が、想像もできなかったほど。自分の意思を、自分で伝えられる。お買い物もお散歩も、一人でできる。私は今、そうした些細な自由に出会うたびに、いちいち感動しながら生きている。
だからこそ思うのだ。あの日々を、よく生き抜いたものだと。
幼い頃の私に言いたい。何の言い訳も許されず、一人で泣いている少女が目の前にいるのなら。
彼女を抱きしめて、言いたい。
よく頑張ってるよ。あなたの抱えている生きづらさは、あなたのせいじゃない。困難なことはたくさんあったよね。でも私は、あなたのおかげで、今もこうして生きている。
闘ってくれて、ありがとう。