こころの声を綴って ー場面緘黙症と歩む日々ー

場面緘黙症を含めた不安障害とうつ病、SEKAI NO OWARIについてなどを書いていきます。

救われた音の記憶 #20 『最高到達点』

 こんにちは。架空のラジオ番組、「救われた音の記憶」のお時間です。

 このコーナーでは、毎回一つ、私が様々な病と闘う中で出会い、救われた楽曲などを紹介します。

 

 今回のゲストは、SEKAI NO OWARIの「最高到達点」。

 19歳の私から、お便りが届いています。

 

 この曲がリリースされたのは2023年の夏で、初めて聴いた時は衝撃でした。まるで空を飛んでいるような軽い曲調に含まれた、自身を鼓舞するような歌詞。

 うつ病が酷かった時は、この曲が少し眩しく感じて、しばらく無意識的に離れていました。この曲が初披露されたライブの時、私はうつ病の症状で痩せすぎてしまい、入院を検討している最中でした。

 私にもこんな日が訪れるのだろうか。それとも――終わる方が先かな。

 この曲を書いた時、Fukaseさんは私と同じように調子を崩していて、「行っちゃいけないところまで行きそうにもなった」と言っていました。こうなったらいいという願望だけで書いたのだと、その時のライブで語っていたのを覚えています。

 

 あれから約3年。今は、この曲の歌詞が妙に自分に重なるのです。

『夜明けの時さ』

 そうだ。夜明けがやって来た。

 また夜がやって来ることは、痛いほど知っています。それでも、今はこの光に包まれていたいのです。

『あの日々の痛みも過去だから 多分』

 「絶対」でも「必ず」でもなく、「多分」。けれどその曖昧な「多分」であることが、等身大の強さを表現しているような気がして私は好きなのです。

「自分を味方につけた 僕は誰より強くなるはずさ」

 Fukaseさんはこの曲を、こうなったらいいという願望だけで書いたと言っていた、と前述しました。そしてその後にこう言っていました。

「それがこうして現実になるなんて」

 

『さあ復活だ 目醒めの時が来た 今』

 過去の私はこの歌詞を、まだ眠くてだるい早朝に、叩き起こされるような気分で聴いていました。まだ不安でベッドの中にいたいけれど、それでも目を醒まさないといけない朝。でも今は少し違うんです。朝から降り注ぐ太陽の下、私は笑顔で空を見上げます。

 ずっと前から、この瞬間を待っていたかのように。

 夜明けだ。

 やっと、夜明けがやって来た。

 最後のサビでは、このフレーズが繰り返されます。

 

『さあ復活だ 目醒の時が来た 今』

 この曲は、未来の私からの手紙だったのかもしれません。

 

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