
復学した大学で、心理学の授業をいくつか履修した。去年は必修である言語学やキリスト教学を取るので精いっぱいで、ほとんど心理学を学べなかった。でも今期は、オンライン授業やオンデマンド授業も活用して、様々な心理学を履修した。
障害者心理学、発達心理学、コミュニケーション心理学。その中でオンライン授業なのをいいことに履修した授業の一つに、「トラウマ心理学」というものがあった。
こんな、いかにもフラッシュバックのトリガーになりそうな授業をわざわざ履修したのは、少しでもこのトラウマを乗り越えられるんじゃないかと思ったからだった。
私はどうしても、一刻も早く、このトラウマを乗り越えたかったのだ。
トラウマとは、心的外傷というらしい。
私はずっと、自分がPTSDなのか、そうじゃないのか、悩んでいた。これに名前をつけて苦しみが形になれば、少しは楽になれる。一つの武器のように、「私、PTSDを持っているんです」と言って、沖縄から遠ざかる理由ができる。でも、私が受けたのは、災害でも虐待でも性被害でもなく、ただの修学旅行だ。それがPTSDになった人なんて、この世にいるのだろうか。苦しみに大小もないはずだけれど、第三者が見た時に、「ああ、それはトラウマになるよね」とわかってもらえるようなものではない。
「たかが修学旅行で?」
自分でもそう思ってしまうものだから、きっと他者にもわかってもらえない。そう思っている。
ただ、授業でトラウマの定義について学んだ。
スライドには、「トラウマとは、圧倒的な恐怖や強いストレスを受けた時に生じるこころのけが」と記載されていた。
私は、その言葉がトリガーとなり、あの日がフラッシュバックしてしまった。
でも不思議なことに、涙と苦しみに塗れた中、どこかで安心している自分もいたのだ。
今まで私が知っている「トラウマ」というのは、何か衝撃的な事件や出来事が起きた時に生じるものだと思っていた。でも、「圧倒的な恐怖や強いストレスを受けた時にも生じる」んだ。私の苦しみを、きちんと「こころのけが」として、認めてもらえたような気がした。
思い切って母に訊くと、「病院ではもう既にPTSDだと言われている」と言われた。私が、体調が悪すぎて病院にすら行けなかった時、そう言われたらしい。
病名がついていると知って、心から安堵した。変な話かもしれないけれど、私は社会的にこれを抱えて、これと向き合って、これを越えて生きていくことを認められた気がしたのだ。
だからといって、こうなりたかったわけじゃない。履修した時に思っていた、「一刻も早くこのトラウマを乗り越えたい」という気持ちは変わっていない。
悪者のいない世界でついてしまったこのこころのけがが、いつか癒されますように。