
私は観察力が非常に高い。
幼い頃から場面緘黙症を抱えていた。だからきっと、能動的に動く代わりに、受動を極めたのだろう。
必然的なのか、偶然的なのか、私は監視カメラのように、視覚と聴覚の記憶力が優れた人間だった。
誰かが言っていたこと、着ていた服、食べていたものなどを何年経っても覚えていたりする。
もちろん勉強も例外ではなくて、高校生の時は試験前に教科書に載っている注釈の言葉まで一語一句覚えていた。そうじゃないと不安だった。
そしてそれは、日常の些細なことに向けられている。
妹の蘭は、宝塚歌劇団が大好きだ。彼女が機嫌のいい夜は、必ずテレビで宝塚歌劇団の公演が繰り返し流れている。
何度も観たものなので、私はそのセリフや劇中歌の歌詞をいくつも暗記している。それが当たり前だと思っていた。でもふとした時にそうした長セリフや登場人物名を私が脳内データベースから持ってくると、驚かれることがある。「よく覚えてるね」と、そう言われる。
そうした声を受けて、逆に私も驚いた。でもそう言われて、最近気付いたことがある。このブログでも以前書いた、私のコンプレックス。大した読書家でもないのに、なぜこんな文章を書くようになったのだろう。
ずっと謎だったのだ。私は一体どこからそんな能力を身に着けたのか。
ああ、監視カメラだったからなのだ。
ずっと見えるもの、聞こえる音をすべて深く観察していたから、大して本を読まなくても、文章力や表現力が育った。そういうことだったんだ。
そう思った時、少しだけ、自分の過去の時間を好きになれた。
何もできなかった時間だと思っていたけれど、ちゃんと私は、世界を見て、受け取って、生きていたのだ。