
今年の4月から、大学に復帰した。
休学中、ずっと恐れていた新学期。休学したその先に、復学できる未来があるとは、到底思えなかった。
「無理だと思う」「上手くいくわけない」と弱音を吐きまくる私を、母はずっと鼓舞してくれた。大学と何度も相談を重ね、利用できるサービスを最大限活用し、不安の要素を聞き続けてくれた。
そして私は、思い切って新生活をスタートさせた。
気付けば、大学という場所に、去年ほどの恐怖は抱かなくなっていた。
理由はただ一つ。話せるようになったからだ。
授業やサークルで、友達ができた。最初こそ、すれ違えば会釈をする程度の仲だったが、課題に一緒に取り組んだり、サークルで活動したりするたびに、仲が深まって行った。
「おはよう!」
友達の顔を見かけたら、そう笑顔で手を振れる。何だか夢みたいだ。
そんな私が挨拶できるようになったのは、友達だけじゃない。
大学の門にはいつも、警備員さんが立っている。彼らはロボットのようにぼーっと立ち尽くしていることが多いけれど、私は門を通る際、なるべく彼らに頭を下げるようにしている。
守ってもらえる環境が、当たり前にあると思ったらいけない。
私が会釈をすると、ほとんどの警備員さんは「いってらっしゃい」とか、「おはようございます」とか、そんな言葉を返してくださる。私はそんなことにいちいち嬉しくなって、学生の中で一人だけ、彼らに向かって「おはようございます」と返事をするのだった。
去年は、うつ病がひどくて、真っ直ぐ歩くこともできなくて、警備員さんの存在など眼中になかった。死んでしまおうか、生きたまま帰るのか。本気でそこまで思い詰めていた。
子供の頃から、「元気よく、大きな声で挨拶をしよう!」と大人たちに言われてきた。それができない私は、叱られてばかりだった。
「挨拶ができないのは、恥ずかしいことなんだよ」
小学生の時、担任の先生がそう言っていたことを覚えている。
わかっていた。挨拶すらできない自分を誰よりも恥じていたのは、紛れもなく私自身だったから。
話せるようになったからといって、今の私から「元気よく、大きな声で挨拶をしよう!」とは、口が裂けても言わない。そんな言葉を聞いたら、子供の私は間違いなく傷付くから。
誰からの理解も得られなかった彼女を傷付けることだけは、この先の人生、どんなことがあってもしない。そう決めている。