
「今日もお弁当美味しかったよ」
そう言って家に帰れることが、こんなにも幸せだと思う日が来るなんて、中学生の頃の私は知らなかった。
大学2年生の私は、学校に行く際は毎回お弁当を持参している。
特に理由があるわけじゃない。ただ、学食は混んでいるし、わざわざ買うのも面倒だし、節約にもなるかなと思って、母が作ってくれるお弁当を持って行く。高校生の妹と弟がいるので、結局作らないといけないのなら、2人分でも3人分でもそう労力は変わらないらしい。
小学生の頃は給食だったけれど、私が通っていた中学校はお弁当だった。高校も同様だ。
ただ、中学生の時は入学して数か月で不登校になった。毎日、「今日もお弁当美味しかったよ」と言って家に帰ることすらできなくなってしまった。
高校生になっても、場面緘黙症を患っていた私は、不安のせいで空腹を感じないほどだった。さらには会食恐怖症まで発症し、せっかく作ってくれた母の愛を捨てざるを得なかったことばかりだ。
母にバレないように、泣きながらゴミ袋の奥に痛んだお弁当の中身を捨てた。食べたいのに、美味しいのに、何より、母の愛情を無碍にしてしまっている気がして、何度お弁当を処分しても、最後まで慣れるものではなかった。
大学に復学した今、私は、ごはんが食べられて、美味しいと思えて、人の目線も怖くない。
そのすべてができなかった時期があるから、そんな当たり前のことに幸せを感じられる。
お弁当を完食して、帰宅すると同時に、「今日もお弁当美味しかったよ」と母に伝えることができる。
復学してから気が付いた。
お弁当は私にとって、ずっと母との繋がりだったのだと。
不登校時代や闘病期間が長かった私。
だから私にとって、お弁当は、ちょっと特別な存在なのだ。