
「ちょっと後ろー、いいかな?」
授業中に、壇上に立っていた先生が教室の隅に向けて唐突に言った。
「これ以上話すんなら、席離してもらうよ?」
教室が一気に静まり返る。元々感情をあまり表に出さないタイプの先生が珍しく怒っていた。注意された当の本人たちは、「あーあ。怒られちゃった」とでもいうように苦笑いしているだけだった。
私は、あの教室の中で、誰よりも傷付いていた自信がある。
昔からそうなのだ。怒られている人、怒っている人と同じ空間にいるだけで、心が削られる。だから学校が苦手だった。
すべてを他人事のように受け流すことができたら、どれだけいいか。先生の怒りの矛先が私じゃないことは重々わかっている。ちゃんと資料を見て、先生の話を聴いて、メモをしながら授業を真面目に受けているのだから。私に怒られる要素なんて一つもないはず。それなのに、人の感情が不安定な空間にいるだけで、私はとても不安になるのだ。
まるで、こころが何の装備も施されず、むき出しになっているようだった。
昔から一人だけ気付いていた。先生が怒る直前。片方の眉が引き上がる。額に小さく皺が刻まれる。イラっとしたその感情が嫌でも伝わって来る。それなのに、クラスメイトたちは何も気付かずに、おしゃべりをやめない。
案の定先生は沸騰したように怒り出し、そうしてやっとクラスメイトたちは「あ、怒られた」と気付くのだった。その様子を見ているのが、ずっとしんどかった。
「お願い。気付いて。先生、怒ってるよ」
クラスメイトたちに向けて、何度もそう願ったけれど、彼らは最後まで気付いてくれなかった。わかりやすく先生がブチ切れて、現状をようやく理解するのだ。
今考えれば、場面緘黙症と社交不安障害を発症したきっかけも、きっとそれだった。
むき出しのこころを守りたくて、無意識に鎧を作ったのだ。
それらの病気が治って、よかったことの方が圧倒的に多い。
けれど、今でもこうして私は、人の怒りに振り回されては、不安になり、泣きそうになり、恐怖を抱いてばかりだ。
弱い自分が嫌になる。すぐに心が折れてしまう。
けれど本当は、弱いのではなく、ただこころが薄かっただけなのかもしれない。
怒りも、悲しみも、不機嫌も、まるで雨のように直接降りかかってくる。だから私は、長い時間をかけて鎧を作った。
でも、もう知っている。鎧だけでは息が詰まってしまうことも。
むき出しのこころのまま壊れずに生きる方法を、私はまだ探している。