
3年生の春、響ちゃんに、「かるた同好会入らない?!」と訊かれた。あまりに突然のことで何も返せずにいると、彼女ははっと我に返ったように「あ、ごめん、ごめん。突然すぎたね」と言ってその話は終わった。
正直、私は驚いていた。
部活に入るという選択肢が、私の中にもあるの……?
それから、少し部活を意識し始めるようになった。
家に帰ってから、1年生の時にもらった部活動紹介の冊子を眺めた。緘動がある限り、運動部は難しい。でも本当は、野球部のマネージャーになることが夢だった。兄の優も、弟の葵も野球経験者だ。小さい頃から兄の少年野球に付き合ってきた私にとって、野球は一番身近なスポーツだった。少し齧った程度の、バスケなんかよりずっと。実は、小学生の頃に少しだけ、兄の所属する野球チームに臨時メンバーとして練習に参加したこともあるのだ。だから、場面緘黙症さえなければ、野球部に入りたかった。
でも、いくらそう願ったって、運動部に入るのは難しい。そもそも、毎回の体育でへこたれているような人間なのだ。土日も練習や試合がある部活なんて、私に務まるわけがない。
すると気になるのは、アトリエ部だった。
アトリエ部は校舎から少し離れた、プレハブ小屋のような特別教室が活動場所だ。見学に来た時、健康診断の時、その特別教室を訪れて、アトリエ部の子たちの作品をいくつか見て来たからイメージはできている。
絵を描くのは、幼い頃から好きだった。小学生にもなれば、私より絵が上手い子はたくさんいて、徐々に自信をなくしていった。私ごときが、「絵が得意」なんて言ったらいけない。妄想でも何でもなく、目の前の事実を客観視した時に、そう思った。それでも、そんな折れかけた私の自信に拍車をかけたのは、何といっても中学3年生の時に1年間描き続けた絵と、それを提案してくれた先生と、賞賛してくれたクラスメイトだろう。
登校する時、たまたま途中で会って、一緒に学校まで行くことが多かったアトリエ部のクラスメイトに、「実はアトリエ部が気になっている」と伝えた。彼女は後日、「今は仮入部期間で人が多いけど、それが苦手なら仮入部期間が終わってから遊びに来なよ」と言ってくれた。
響ちゃんから誘ってもらった、かるた同好会も気になっていた。彼女が所属しているのなら心強いし、部活にも昇進できていない「同好会」なので人数も少ない。
それでも気がかりだったのは、かるたに求められる瞬発力だった。
高校の競技かるた部が舞台の、「ちはやふる」という漫画を読んだことがある。漫画の中の主人公たちは青春をかるたに捧げるほどの熱量を持っている子たちで、H学園のかるた同好会とはまるで違った。でも、上の句の1文字目が読まれた瞬間に、スパンっと俊敏に手を動かし、札が飛ぶ描写を思い出して、「私には無理だ」と思った。響ちゃんはあれから、私をかるた同好会に誘ってくれることはなかった。
高校3年生の春。最後の1年が始まったあの時。何らかの所属先を増やし、交友関係を広めた方が後悔なく卒業できるとわかっていながらも、結局どこにも入部することができなかったのは、新たな環境に飛び込めるほどの勇気と体力がなかったからだ。部活の話はわけあって、いつの間にか風化していった。
最後の1年が始まったあの時。何の部活にも入らなかったことを、今でも強く後悔している。